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スティッキー・フィンガーズ

- ドラッグ、旅、出会い、ある若者のインドでの軌跡 -

ライター:さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

さとうりゅうたの行路

20May10

放り投げた

  智は、その内の一つを手に取った。それは、心路がデリーを出る時に分けてくれたチャイナホワイトだった。少し黄ばんだ白い粉が、紙の折り目に沿うように包まれている。智は、再びそれを包み直すと他のものと同じように窓から放り投げた。放り投げられた包みは、あっという間に流れゆく景色の中へと呑み込まれ、見えなくなった。そして最後に、袋の中の一番奥に残されたもう一方の紙包みを、智は指先を使って引っ張り出した。包みを開けるとそこには、薄茶色のさらさらした粉が、乾いた砂漠の砂の小山のようにこんもりと盛り上がっていた。直規と心路と智の三人で一緒に買いに行った、思い出のブラウンシュガーだ。まるで小さな冒険のように楽...

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15May10

生き延びて

  国境までの乗り合いバスを拾いに行く途中、ゲストハウスの中庭では相変わらずイギリス人の老婆が庭を眺めながら紅茶を啜っていた。目の前を智が横切ろうと、まるで無関心だった。一体あと何年、彼女はああやって紅茶を飲み続けるのだろう? ひょっとしたら永遠にあのままなのかも知れない。彼女やそれに関わる周りの物質は、彼女とともに時間の経過を無視しながら永久に存在し続けていくように思えた。彼女達は、移ろいゆく周りの世界から完全に孤立しているようだった。「ゴー・パキスタン、ゴー・パキスタン」   乗り合いバスの運転手が、窓から身を乗り出しながら智に向かって声をかけた。智は、イエス、イエス、と言いながら、完全...

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10May10

癒して

  安岡は、うろたえながら再び深々と頭を下げた。智は、いいよ、いいよ、とそれを制すると、思い出したように安岡に尋ねた。 「あっ、そうだ。安岡君、結局この後、どこ行くか決めたの?」    安岡は、いえ、まだっすけど……、と口籠った。 「もし昨日言ってたマニカランへ行くんだったら、町の入り口に、マニカラン・コーヒーショップっていう店があるから寄ってみてよ。アナンとプレマっていうインド人夫婦がやってる店で、岳志さんって日本人がいると思うから尋ねてみるといいよ。ガンジャやチャラスのことなら何でも教えてくれるよ。いい人だからさ。会ってみるといい。さっきあげたチラムのことも良く知ってるし。俺から貰ったん...

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05May10

かなり入念

  「やっぱ、行くんっすか?」   翌日の朝、荷造りをしている智に安岡が声をかけた。 「ああ。今日、国境を越える」 ベッドの上に散らばった衣類を片づけている智を、安岡は、少し寂しそうな表情で眺めていた。 「でも、本当、イミグレ―ションでは気をつけて下さいよ。自分、かなり入念にバックパックを探られましたんで」 「そうだね……。見つかったらバクシーシじゃ済まないだろうからね。ちゃんと隠しておかないと……」 「自分、心配っすよ。智さんが捕まりゃしないかって。大丈夫なんすか? 本当に」 安岡は、心配そうに智の顔を眺めている。智は、バックパックの中に順番に持ち物を詰め込みながら、安岡の話を聞いてい...

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30Apr10

欠けたもの

「一ノ瀬さん、あの、自分、もう一つ思うことがあるんすけど……」 「えっ、何?」 智がそう聞き返すと、安岡はためらいがちにこう答えた。 「それは、欠けたものはもう戻らない、ってことなんすよ……」 安岡のその言葉を聞いたとき、智は少し胸騒ぎがするのを感じた。 「欠けたものは、戻らない……?」    「ええ。例えば、自分や智さんは大切な友達を失った訳じゃないですか。それっていうのは、心のどこかが欠けている状態だと思うんっすよ。胸の中にぽっかりと穴が開いているというか……。そういう人達って自分も含めてみんななんすけど、無意識の内にその穴を埋めようとしてると思うんっすよね」   智は、自分でも気が付かな...

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25Apr10

養成所

安岡は、少し照れくさそうに笑いながら、もう一度チャラスの煙を一口大きく吸い込んだ。そして目を閉じ、深呼吸するようにゆっくりと息を吐き出した。 「けど、それが良かったんすかね。それから自分の中で何かが変わったみたいで、もうそれまでのようにあいつのことで思い悩むこともそんなに無くなりました。それでしばらく そうやってサッカーやってる内に、サッカーの教員になろうと思いついたんすよ。サッカークラブで子供達にサッカーの楽しさを教えられたらな、なんて思い始めたんっす。何か、そうすることが死んでいった友達に対するはなむけになるような気がして……。それで本格的にやるために、ヨーロッパに選手の育て方を学びに行こ...

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20Apr10

不公平

「その後は随分と悩みました。あんなに好きだったサッカーもプレイはおろか、テレビで の試合も見なくなりました。ボールを見るのも嫌になった程です。その後、何年もボール に触れることはありませんでしたね。でも、幸い自分は周りの人間に恵まれていたんっす。 みんな辛抱強く自分のことを見守ってくれて……。だからそこまで自暴自棄になることも なく、何とか立ち直ることができたんっすよ。いや、実際はかなり自暴自棄になってたん っすけど、そこまで道を踏み外さなかったのも、本当、友達や家族のおかげっす。やけく そになってた自分のどんなわがままにも我慢してくれて……。本当に感謝してるんっすよ。 ありがたいと思ってます...

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15Apr10

智は、ああ、もちろん、と言って、灰皿の上に途中で消したまま置いてあったジョイン トを手に取ると、再び火をつけて安岡に手渡した。安岡は、ありがとうっす、と言ってそ れを受け取った。そしてぎこちない様子で大きな吸気音をたてながら深々と煙を吸い込む と、改めて智の方に向き直ってゆっくりと話し始めた。 「自分、高校のときサッカーやってたんっすよ。結構強い学校で、県の大会でも常に上位 に喰い込んでいたようなチームでした」  安岡は、もう一度ジョイントを吸った。安岡の厚い胸板ではち切れんばかりの小さめの Tシャツは、汗でべっとりと濡れている。狭い部屋は、二人の汗の匂いと湿気と大麻の煙 とで充満していた。粘...

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10Apr10

溢れだして

「一ノ瀬さん、一ノ瀬さん! 一体どうしたんっすか? 急に電池が切れたみてぇに固ま っちまって。早くやりましょうよ、その、チャラスってやつを!」  沈黙しながらぐるぐる考えを巡らしていた智は、安岡の野太い声で我に返った。 「ああ、ごめん、ごめん。ちょっと、ぼんやりしてた……」  智は、そう言うと巻きかけのジョイントを丁寧に仕上げていった。しかし、死体となっ た一希の残像は、その後も智の頭の中から消えることはなかった。  安岡は、チャラスにしたたか酔っていた。ベッドの上にぐったりと倒れ込み、両目は、 殆ど閉じてしまいそうなぐらいぼんやりとしていた。さっきまでの威勢の良さはまるでな かった。 「一...

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05Apr10

新鮮な感慨

夕食を終えて宿の従業員も眠りに着いた頃、安岡と智は、二人で蝋燭の灯った智の部屋 にいた。智は、蝋燭の明かりで手元を照らしながら丁寧にジョイントを巻いている。使っ ているチャラスはマナリーのクリームだ。いきなり世界最高のチャラスを吸えるんだから、 安岡は幸せな奴だな、と心の中で智は思った。安岡は、智を質問攻めにしながら、喰い入 るように智の一挙手一投足を眺めている。 「へええ。そうやって巻くんすか。成る程なあ。ところでその、木のお椀みたいなのは何 なんっすか? もともとは灰皿っすか?」  安岡は、智のココナッツを指差しながらそう言った。 「これのこと? これはね、マナリーの近くのマニカランってい...

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30Mar10

収拾

宿に帰ると、パキスタンから渡って来た一人の日本人旅行者がチェックインしていた。 国境を越えて、初めて訪れるインドに入国したばかりなので、彼は少々興奮しているよう だった。智の発するどんな言葉にも常に過剰な反応を示していた。 「そうなんっすよ! 国境ではかなり入念に荷物チェックを受けて、入国までに随分時間 がかかったっす!」  安岡というその青年は、流れる汗をタオルで拭き拭き興奮気味にそう言った。 「そっかあ。そんなに厳しいのかあ、パキスタンの国境は……。何か持ってたらヤバイか な?」 「えっ、何かって……。ひょっとして一ノ瀬さん、ドラッグとか持ってるっすか?」  智は、安岡には「一ノ瀬」と名字...

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25Mar10

感情

シーク教の歴史について全く無知だった智は、シーク教徒に対するそんな迫害があった ことなど当然知らなかった。それで、写真に添えられていた英語表記の説明文を読んでみ るとどうやらそれは、かつての宗主国であったイギリスが彼らに対する反対運動を起こし たシーク教徒達に行った武力弾圧だったらしい。無抵抗、非武装だった市民に対し、一斉 機銃掃射を敢行したという。しかも直接手を下したのは英国人ではなく、同じくイギリス の支配下にあったネパール人だということだ。長年の植民地支配に長けたイギリスという 国は、そういった虐殺を行うとき、被支配民の怒りの鉾先を自分達から逸らすため、彼ら に敵対している民族や、或いは...

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20Mar10

祈りを捧げて

智は、アムリトサルに着いて二日目の夕方、この街のメインであるゴールデンテンプル へ観光に行くことにした。ゲストハウスから歩いて二三十分の道のりは、賑やかなバザー ルで埋め尽くされていた。マナリーやダラムサラなどの山間部とはまるで違った久しぶり の街の熱気に、智は少々戸惑いを覚えた。山の中の静謐とした感じはまるでなく、あるの は、猥雑とした人々の熱気ばかりだ。しかしその熱気は、デリーのものとは異なり、粘り 着くようにつきまとう人々の煩わしさはまるでなく、それが観光客ずれしていないせいな のか、はたまたシーク教徒の資質であるせいなのかは分からないが、むしろさっぱりした もので、皆、親切に智に接して...

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15Mar10

無料の巡礼宿

アムリトサルはシーク教の聖地である。シーク教徒にとって総本山となるゴールデンテ ンプルと呼ばれる黄金の寺院のある街だ。街往く人々は、皆ターバンを巻き仰々しい髭を 蓄えている。いわゆる日本でのステレオタイプなインド人のイメージといったところだろ うか。アムリトサルは更に国境の街でもある。バスで二三十分行った所にパキスタンとの 国境があり、そのすぐ向こうにはパキスタンの主要都市ラホールが控えている。パキスタ ンはもう目の前だ。  智は胸の高鳴りを覚えた。パキスタンはすぐそこにある。行こうと思えば、今すぐにで も行ってしまえる距離なのだ。ようやくこれで心置きなく西へ向かえる。今までのように、 北へ南...

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10Mar10

いちから

取り調べも終わり数日経ったある日、心路は、仁にタトゥーを彫ってもらっていた。ア シッドペーパーから起こした「チェ・ゲバラ」の肖像を右肩に入れるのだ。タトゥーマシ ンの金属的な連続音を聞きながら、ひたすらジョイントを吸って心路はその衝撃に耐えて いた。 「やっぱ、あれか。これは一希のために入れるのか?」  マシンを使う手を休めて仁が心路にそう尋ねた。心路は、顔をしかめながらひたすらジ ョイントを吹かしている。 「いいや、そんなんじゃないですよ、仁さん。ただ、何となく、です。まあ、実際これは 一希が最後に摂ってたアシッドなんですけどね……」  心路は、そんな風に一希のことを話せるぐらいに落ち着きを...

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05Mar10

遺族

「キヨシ、キヨシ……」  担架に乗せられた一希が、何度もうわ言のように清志の名前を呼んだ。 「一希! 喋るんじゃねえって! もう少しだから! 絶対助かるから! 頑張れ、頑張 れよ!」  心路は、泣きじゃくりながら血まみれの一希の手を握っている。担架を担いでいる者達 の足並みが次第に速くなっていく。揺れる懐中電灯の光が漆黒の森を白く照らしだす。 「キヨシ、ごめん、ごめん……」  カズキの腹部からの出血はどんどんひどくなっていく。白い担架が赤く染まり、黒い地 面に鮮血が滴り落ちていく。 「馬鹿、カズキ! もう喋るな! 分かったから、喋んじゃねえよ!」  心路は、祈るように一希の手を握り続けている。...

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01Mar10

倒れている二人

「ちょっ、シッ、シンジ、あれ……、見える? あいつが手に握っているもの……」  心路は、智の指差すその先を首を伸ばしながら眺めると、それに気が付いたらしく、あ っ、と大きな声を上げた。 「あれ、ナイフじゃねえかよ! 一希は!? 大丈夫か!? カズキ!、カズキ!」  心路がそう叫ぶと同時に、一希は前のめりに倒れ込んだ。反復するトランスミュージッ クの規則的なサウンドが、その動きのひとこまひとこまをなぞるように包み込む。断続的 に放たれる照明の眩い閃光が、一希の苦悶の表情を、ときおり闇の中に白く映し出す。一 希は、そのまま土の上へ顔から崩れ落ちた。  周りの嬌声は明らかに悲鳴に変わった。会場のその...

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25Feb10

言い争い

パーティの始まった直後の出来事だった。夜の山を小一時間程歩いたパーティ会場には、 そろそろ人が集まり始める頃だった。深い森の中に設置された特大のスピーカーからは空 気を揺るがすような大音量のトランスミュージックが吐き出され、すぐ隣にいる人間と会 話することもままならない。街灯のように吊るされたブラックライトによって、一心不乱 に踊り続けるレイヴァー達がぼんやりと淡く照らし出される。木々の間には、蛍光色のシ バ神や幾何学的な模様の描かれた大きな布が何枚も張り巡らされ、それらは、ブラックラ イトに反射して妖しい光を放っている。 「サトシ、一希は?」   心路が、智の耳元まで口を寄せて大きな声でそう...

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20Feb10

穏やかな表情

「俺は、慌てて走り寄って大声で清志の名前を叫んだんだ。そしたらあいつ、河の中程で こっちを振り返って、笑顔で手を振った。一希さあん、ってな。その時のガンガーは、雨 の後でちょうど水かさが増してる時で、流れもかなり速かった。俺は、危ないから早く戻 って来いよ、って言ったら、清志は、大丈夫ですよ、向こう側まで行くんです、って言っ て再び泳ぎ始めた。そしてその後すぐ、清志はガンガーの濁流に呑み込まれてた。俺の目 の前でな。あっと言う間だったよ。流されてあいつが見えなくなったのは」  一希の全身は、わなわなと震えていた。涙がこぼれ落ちそうになるのを必死に我慢して いるようだった。震える唇から涎が垂れて...

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15Feb10

普通じゃなかった

一希の瞳が力なく微笑んだ。心路と智は、一言も言葉を発することができなかった。 「ある日さ、いつものようにみんなでボンしてる時に、俺がたまたまアシッド持ってった んだよ。それで、みんなで一枚ずつ喰おうってなった時に、当然、清志もやるって言い出 して……。もちろん俺は快く清志にあげたよ。どんどんやれよ、ってさ。それから後はも うみんなパッキパキにキマッちゃって、訳分かんない内に夜が明けてた。それでみんなそ ろそろ帰ろうかってことになって、それぞれの部屋へ帰り始めたんだ。清志と部屋をシェ アしてた俺は、二人で一緒に帰ることになった。その帰り道、ちょうど夜明け頃のガート を歩いてたら、その時まさに、太...

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