シバ神をみた男

シバ神※をみた人を知っている。
インドで出会った人で、ヨガをしていた人だ。
40才の割にはとてもがっしりと、ピチピチとしていた。
そんな彼がぼくにいったのだ。

「僕は実は、シバをみたことがあるんだよ」と。

毎朝の瞑想中のことだった。
ふいに、発作的に駆けだして山をのぼりつづけた。
暗いうちから空が白んでくるまでのぼりつづけた。
そしてたどりついた山頂で、朝日とともに、全身青色の大男がヤリをもって立っているのをみたのだ。
破壊神らしく力強く、男性的に。
目がさめると、山の谷あいに大きな岩が挟まっていた。
どっしりと、ガツン、と。
どうやらそれのイメージが、もうろうとした頭の中で、シバを呼んだようだ。
要するに幻覚だ。
ただの。
でも僕はその話を信じる。
それがシバであったと断言する。
そしてシバをみた、と言えるその人が好きだ。
だってみえたんだもの。
他の人が見ることができなくたって見えたことには変わりない。
それが全てだ。神をみたのだ。
彼は知恵者ぶらず、聖人ぶらず、そういった。 
そしてそれがただの幻覚だ、ともいった、と同時に神をみた、といった。

矛盾だらけだ。矛盾だらけのおっさんだ。
でもこんな、現実が常識として写実的に規定されるのが当たり前の世の中で、矛盾を真実として堂々と言える感覚が好きだ。

矛盾しないものなんてこの世に存在しない。
そして矛盾しないものなんてぼくは信じない。

※シバ神/ヒンドゥー教でヴィシュヌ神と並び、もっともあがめられている神。破壊、踊りの神。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

インドで結婚した女の子

外人と結婚するということは、どういうことだろう? 
ぼくが旅で出会った女の子はインド人と結婚した。
突然結婚した。多分、衝動的に、だ。
しかもその相手の男は、インドでも最下層の部類に入る。 
想像できる?

階級というものは想像以上に厳格で、残酷なものだ。
壁は思ったよりも高く決してこえられない。
むしろ、初めっから乗り越えようという考えすらないのかもしれない。
生まれた途端に一生が決まってしまう。

そういう男と結婚した。
彼のなかに純真をみたという。
それで結婚した。
しかし、そんなのは夢の世界のお話だ。まるで現実感が伴っていない。
恋の話、といってもいい。
結婚なんていうのは思いっきり現実だ。夢や希望の話ではない。
現実に直面せねばならない。
国際結婚という現実や、カーストという現実や、インドという現実や、色々だ。

彼女はそれらを無視して、飛び越してしまった。
二人のあいだに何か形の見える結果だけを、急いで求め過ぎてしまった。
でも、分かる。
気持ちは分かる。    
旅とはそういうものだし、恋とはそういうものだ。
常に現実離れしている。
そのなかにいれば、つまらない現実なんて見なくてもすむ。
そう、現実とはいつもバカ正直でつまらないものなのだ。

でも、常に現実から離れつづけることなんてできない。
生きている以上、否が応でもちゃんと現実も直視しなくてはいけなくなってくる。

このへんが人生の大変なところだ。楽しいだけじゃ生きられない。
そうおもわない?

彼女は、旅という夢の中でさらに恋に落ち、結婚という現実によって引き戻された
これがいいのか悪いのかなんて分からない。
誰にもきめられない。彼女しだいだ。
ただぼくは、旅や恋といった夢の領域のもつ魔味がそうさせた、と思う。
そしてそれは彼女だけに限らず、旅や恋をする人全てにそっと寄り添っている。

その後、彼女はどうなったのか知らない。
どうしてるのかなあ、と、たまに気になってはいるのだけど。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

故郷

ぼくはあの人達が嫌いだった。
何だかうけつけなくってイヤだった。
話をしていても、どこか心の中では斜めにうがってみていた。
話も適当に聞いていた。

でも大分時間がたった今、思い返して後悔している。
もっと色んなことを話しておけばよかったな、と思っている。
きちんと正面から接しておけばよかったな、と思っている。

要するにぼくはあの人達が怖かったのだ。
あの頃はああいう人達の存在を信じていなかった。 信じまいとしていた。

アンコールワットのあるシェムリアップというカンボジアの小さな村で出会った。
奥さんと6才くらいの子供と3人だった。
奥さんはあまり話さない人で、だんなさんが主にみんなと付き合っていた。
物腰が柔らかくって誰とでも話をする。 40前後の人だ。
若者に混じってもちっとも違和感なんてない。やさしく穏やかな人だ。

そういうのが嫌だった。
そういう人間をぼくはにわかに信じない。必ずどこか裏の顔を探す。
嘘つけ、と思ってしまう。
だからずっと彼らと一緒のときのぼくは、とても嫌な奴だった。

国境なんかないぜ、世界はひとつなんだぜ”
みたいなことをいう彼に、吐き気がしていた。

ある日の夜、寝ていると、外から何やら議論しているのが聞こえる。
聞いていると、年輩のおっさんが熱く、西洋のアジア蔑視について非をといているのを彼が、「そんなことないんだぜ、みんな兄弟じゃないか」となだめていた。
でもけっきょく平行線だったみたいだ。
またそんなこと言ってやがる、と、ニヒルに苦笑しながらぼくは聞いていた。
そのままの心境で彼らとお別れした。嫌な奴のまんまで。

そのとき一緒にいた男と帰国後、再会した。
たびたび彼の話がでた。
そいつの話を聞いていると成程、そんな人だったのか、と思う。

「あの人はめっちゃ哀しい人やと思うわ」

という一言で彼の印象が変わった。
彼らは3人でネパールに住むらしい。
ポカラというヒマラヤを臨む小さな村の近くに。

そこ行けば、みんなオレのこと知ってるよ、聞いてごらんよ、いつでも遊びにおいでよ、といつも言っていた。

彼はいつでも人を受け入れていた。
ぼくと話しているときですら、嫌な顔なんかひとつもせずに同じように接していた
もちろん、ぼくの心は分かっていたと思う。
けど思うのだ。
なんでそんな柔軟な人がネパールに住むんだろう。住むことになったんだろう。
なんで日本では生活できなくなったんだろう。
多分、ずっといると言っていた。
もう帰らないってことだ。日本には。ずっと。

けっして日本が嫌いなんじゃないと思う。
むしろその辺の人よりも何倍も、何十倍も好きなんだ。愛してんだ。
だからこそ日本と真剣に向き合い過ぎてしまった。だめになってしまった。
そしてあくまでも肯定的な結論として自分に合った方を選んだ。
それがネパールだった。

こんな寂しいことはないと思う。
自分の生まれ育った故郷を捨て去るというのは一体どんな気持ちだろう。
もう帰らないと決心した心の中はどんなだったろう。

彼はいつでもみんなと一緒だった。
決して誰のことも、日本のことも悪くはいわなかった。
けど、彼の目はいつもどこか哀しげだったのを、ぼくは今さら気がついた。”

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

スペインの長い昼

踊りつづける
熱砂の中で
ひび割れた大地の上で
汗をたらしながら
踊りつづける
漂流の果てのアンダルシアで
カルメンは
欠けてしまった何かを
ギターの旋律や
カスタネットの音色をたよりに
がむしゃらに
求めつづける
ギラギラ照りつける太陽の下で
狂う
マタドールは
貴公子のように
息の根を止める
熱い砂漠の上で
華やかに舞ってみせる
貫かんとする猛牛を
おびきよせてはひらりとかわし
一撃を狙う
互いに間合いを計りつつ
ひたとした静寂を
マタドールが一気に破る
巨体が朽ちた
猛牛は 鼻息も 荒々しく 崩れ落ちる
ワッと歓声があがる
人々は白いハンカチをくるくるまわして喝采する
熱気のこもったスペインの長い昼は
人や土や空気や全部を冷ましながら
ゆっくりと暮れてゆく

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

空中散歩

地球の上に寝っ転がって

山々の上をふわふわ歩く

遠まきに万里の長城を眺め

おれの方が高くにいるぜ 

と得意気になる

かん高く

とぎれとぎれに鳴きながら

尾の長い極彩色の小鳥がはばたいてゆく

おれは腕まくらで ゆったりと眺めてやるんだ

さんさんと降り注ぐ陽光に

澄んだ青空

山々の緑は深緑

いっぴきのてんとう虫がとんできた

だいだいの点点が

うるし塗りのおわんのようだ

ゆっくりとなめらかに輝いている

ひざ小僧のうえでコソコソカサカサ動いている

よっぽど気に入ったのか

ちょっとぐらい動いても ちっとも逃げようとしやしない

そんな動きをみつめつつ

フワフワフワフワ浮いていく

空中散歩

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

カンボジアの印象

灰色の街プノンペン
とても埃っぽい街だ
容赦なく照りつける残酷な太陽に
南国の果物の腐った匂いが漂う
壊れた建物
この街はどこか死んでいる
アンコールワットは石のお寺だ
ジャングルの中にある
松ぼっくりみたいな屋根をもつ
クメールの微笑といわれる
独特の顔がいくつもある
何やら満足気な面持ちだ
あんまり人気のないところへ行くと
地雷があるので気をつけろという
ちょっと人気がなくなると冷やりとする
何せ蚊が多い
シャワーを浴びるのも
 トイレに行くのも
蚊取り線香が要る
何匹かはマラリアを持っている
銃声が聞こえたときは
さすがに具体的に考えた
色んなことを
ゲリが止まらない
水のようなのがいちにちに10回くらい出る
ここまで出ると体がきれいになったような気がする
カンボジア人は虫を喰う
コオロギを揚げて喰う
「グッド」
とか言って
オレに明るい笑顔をみせてくる
カンボジアの人達はこんな風に笑う

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

白サギ

沼の水面も
夕暮れどきには朱に染まる
虫の声と風にそよぐかすかな草の音
一羽の白サギが
その細いつまようじみたいな右足を
つるりと一本溶け込ますと
水面は溶けた金属のように
ゆっくりと ゆさぶりながら
波紋を広げた

オレンジや赤や紫の混ざった薄っぺらい空をバックに
たった一羽で
ゆっくりと ゆっくりと
そんな作業をしている

日の暮れる前のほんのわずかな時間に
オレがバスで通り過ぎる瞬間に
そいつはそんなことをしていやがった

ハッと
オレがあんまり急に振り返ったものだから
となりのおっさんを驚かせてしまった

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

昼寝

菩提樹の下でボーッとする
菩提樹のハッパの隙間から
青空がこぼれる
となりに座るチベットの坊さんからは バター茶の香り

久しぶりの気分になる
ふいに坊さんが お経をあげ始める
アクビをひとつ
思わずほほえむ
おシャカさんも きっとほほえんだだろう
チベットのお経がきこえる
オレはあの人たちの あの深い赤紫色の袈裟が好き
いい色だ

ここは空気の流れが ゆるやかなような気がする
目を閉じてボーッとする
何だか落ち着いた 幸せな気分
昨日からのハラの痛みも消えたような・・・
・・・気がしただけか
ときどき上を向いて言葉を探す
目を閉じると眠ってしまいそう
かろやかに
リスが走ってった
人間臭さがいやだった
そうなるのが怖かった
でも今はちょっと違う
浅ましく泥くさく生きている人達をたくさんみた
自分勝手に
一生懸命
ある種 神々しさを感じた
オレがオレの街でオレの国で感じたことのないものだった それは
となりのチベットの坊さんは 目を閉じ 眉間にシワをよせ 深い瞑想に入った
それか寝てんのか
確かにここは 昼寝すんのにはもってこいの場所だ
オレも 瞑想のふりして
昼寝したい気分になった

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

朝日

やさしい日射しのなかでも

しとしと降る雨の中でも
ガートが水没しても
干上がっても
知らん顔でガンガーは毎日、南から北へ
今日は暖かいから人が多い
色んな色がガートに映える
あっ、あと、音もね
洗濯する音とか
プジャーの鐘の音とかね
何もない対岸は霧にかすむ
白い砂浜が広がっとんだよ 
行ったことあるかい?

とんびがゆうぜんと、頭の上を飛んでいった
ゆったりと
ゆうぜんと
ああ、そうだ
何と今日、オレ、イルカみたんだよ、イルカ
ガンガー泳ぐ
イルカおるんだよ
知っとった?
死体も浮かんでるってよ
オレは見たことないけど
プカプカ浮いてるらしいよ
ああ。
あと、もっとスゲェのもあるよ 

対岸でね、
赤ン坊の死体の足をね、
犬がね、ノラ犬だよ、
それがさ、
ムシャムシャくってんのをさ、
トモダチが見たんだってさ
スゲェハナシだよね
オレはオレで火葬場にたどりついて
人が焼かれてんのみたよ
棒きれで、よく燃えるように生焼けの頭こづいとった
ぐったりした、力のない動きだった
しばらくみてたら熱いのと目ぇ痛ぇのとで、15分くらいで降参しちまったけどね 
この間、ずっと見れなかった朝日をね、
ようやく見れたんだ
さいごのさいごでね
霧がきれいに晴れて、
でっけぇ太陽が昇ってくると、
空がまっ赤になるんだ
ガンガーもあんな汚ねぇのに、
赤く染まるんだ
すげぇんだぜ
思わずしんみりしちまう
太陽を浴びながらみんな、お祈りしたり、顔を洗ったり、洗濯したり、船をこいだりしてるんだ
オレは、そんなのみれて本当によかった、
と思うんだよ

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。