エベレストのオン・ザ・ロック2

チベット越えのルートは、中国南東部、雲南省というところからスタートする。
まず、そこの山深い道なき道を警察の目を盗みつつ、一路チベットの聖都ラサを目指す。
そしてラサからカトマンズへと、小さな町や村を経由しながら南下していく。
すると果てしなく広がる茶色い大地と、コバルト色の澄み切った大空を切り裂くように、敢然とヒマラヤ山脈が銀色に貫く。
そこには誰もが知るところの世界最高峰、エベレストがそびえたっている。
彼はそこを目指す。
エベレストベースキャンプという登山隊の基地があって、そこまでなら何とか車で行くことができるのだ。
そして彼がそこを目指したのには、あるロマンチックな目的があった。
とても詩的で美しく、男らしい目的が。

どんなことかというとそれは、エベレストという氷山からしたたる氷のつららをポキンと折って、それでウィスキーのオンザロックをつくり標高5000Mの極限の自然の中で、一杯やろうというものだった。

そしてそのために彼は、ベースキャンプから一人でずんずんずんずん山奥へと向かう。
理想の氷と環境を求め、やみくもに突き進んでいるそのとき、ふと足を滑らせて、4、5Mほど転落してしまった。
はっと気がつき体をとりあえず見回すが、幸いケガはなかったようだ。
しかし、今来た道のりははるか頭上でとても登れそうにない。
厳冬の冬山に一人きり。ここは世界の頂上エベレスト。
さすがに危機感を感じるが、とりあえずあたふたするのをやめて、適当な氷をさがすと、用意してきたグラスに入れてウィスキーを注ぎはじめる。

グラスの中で、カラコロとエベレストのかけらは揺れる。

そして程よく溶けかかった頃合を見計らって、ツツツっとすする。
天空の氷山で、厳格な大自然に囲まれながらすする世界最高峰のかけらは、一体どんな味がしただろう。
調子にのって何杯も何杯も飲んでいると辺りはすっかり薄暗く、おまけに風も強くなってきた。
エベレストの山中でただ一人。薄暗く、今来た道もわからない。
状況はいよいよどうにもならなくなり始めている。
考えても本当にどうにもなりそうにもないので、とうとう彼は諦めて、もうええわ、死んだれ、と雪の上に寝っ転がった。

しかし、しばらくすると本格的に体は冷えてきて、あたりはますます暗くなる。
あかん、このままやったらホンマに死んでまう、と思い直し、彼は滑り落ちてきた崖を這い上がる方法を必死にさがし始める。
そうして彼がベースキャンプに戻ったときは、もうすっかり夜だったという。
彼は、あんときはさすがに死ぬかと思ったわ、ハッハッハと笑いながらぼくに言うのだった。

ぼくは、ただただ感心してその話を聞いた。
大の大人がただ、山の氷を拾ってきてお酒を飲むと言う、言ってみれば
どうだっていいことに命を張っている。
ある意味ものすごく滑稽だ。ユーモラスだ。
それで本当に死んだら笑い話にもならんだろう。

でもぼくはその人の感性が大好きだ。
世界で一番高い氷山のかけらをグラスに浮かべる。
きっとそのかけらはウィスキーによってほどよく溶かされ、グラスの中で滑らかな輝きを放っていたことだろう。
そしてそれを標高5000Mの鋭い大気の中でゆっくりと味わうのだ。

こんな贅沢なことは決してだれもができることではない。
たとえ何億円積んだってできやしない。
いや、実際に何億も積めば簡単にできるかもしれないけど、そのときの彼の味わった氷の味は、決してお金で買えるものじゃない。
彼だけが知る特別な味わいなのだ。 お金でできることには確実に限度がある。

こういう美しい感覚を、ぼくは心から愛する。
そしてそんなことをする人が本当にいると言うことに、大いに感動してしまう。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

エベレストのオン・ザ・ロック1

詩的な感性がぼくは好きだ。
頭の中で広がっていくイメージは、決して物質的な制約に縛られることなく自由な世界をつくり出す。
そういう世界にぼくは憧れるし、そういう世界をもっている人が好きだ。
ロマンチックな人。

ある、素敵な物語を聞かせてくれた人がいた。すっごく夢があって男らしい話。
とてもロマンチックで男らしい彼なんだけど、その実はちょっと違う。
いわゆるロマンチックな人ではない。
もっとずる賢くって抜け目なくしたたかなタイプ。
あんまり詳しく生い立ちを聞いたわけではないんだけど、何かそういう匂いがする。
おそらく今までたくさんの人を利用したり、傷つけたりしてきたんだろうなあ。
自分が生きていくためには、手段を選んでこなかったような非情さを持っていたことを感じさせる。

ぼくが彼にあったのはネパールの首都、カトマンズだった。
カトマンズというところは周辺の国々とくらべると、びっくりするくらい何でも揃っていて、旅行者にとってはとても便利で居心地もよく、そのため長居する人も多い。

彼もそんなうちの一人だったがちょっと特別で、ぼくと会ったときにはもう3ヶ月も滞在していた。
いくら居心地がいいといっても、同じ場所に3ヶ月もいられるものではないので、一体何をしてるんですか、と聞いてみると、カジノで2,000ドル程負けていてふんぎりがつかず、出るに出られないそうなのだ。
このカジノにもけっこうハマッてる人は多いんだけど、普通そんなに負けない。
そこまでやらない。

でも、そんなこんなでダラダラしているのにも一応まっとうな理由はあるらしく、彼はヒッチハイクで中国からチベットに入りヒマラヤを越え、ようやくここカトマンズに辿り着いたのだった。
そのルートはとても過酷で、普通、外国人は通ることのできないエリアも網羅しており、一歩間違うと警察に捕まるぐらいならまだよくて、最悪命を落としかねない。
しかも標高4000M、5000Mの富士山より高い高地をヒッチハイクして
トラックの荷台にのって移動する。

食べる物もろくなものがなく、チベットの代表的食べ物の、バター茶とツァンパぐらい。
これがまたとてもまずく、バター茶とはヤクとよばれる
チベット牛のミルクからつくる、お茶とは名ばかりの茶色い液体で、ツァンパはそのお茶で粉を溶かして練っただけの粘土みたいな食べ物。
そんなものを食べながら何日も何週間もかけて、過酷な道なき道を行くのだ。
カトマンズに着いたとき、きっとそこは天国に見えたことだろう。
それで彼は、3ヶ月もカトマンズの甘い誘惑に溺れてしまっているのだ。

成る程なあ、と思いつつ、彼がそんなハードな旅人だったとは
ちょっと意外だったので、そのときの話を色々聞いてみることにした。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

東京での話

これはぼくが東京に遊びに行ったときの話だ。
旅先で出会った友だちが帰国後東京に住み始めた、というので会いに行ったのだ。
そんなある日の電車の中でのこと。

僕らは適当にぶらぶら出かけた帰りに、二人で電車に乗っていた。
東京はやっぱりすごいなあ、とかなんとか他愛もない話をしていると、ふと目の前の女の人がハンカチを落とした。
あっ、と思うのも束の間、彼女は気付かずにスタスタスタと行ってしまう。
反射的にまわりを見回すと目の前の男の人は、明らかに知らんぷりをして吊り広告を眺めだし、そのまわりにいた人もみんな新聞に顔を伏せたり、外の景色を眺めたりし始めた。
ハンカチはそのまま悲しく置き去りにされようとしたその瞬間、となりに座っていたぼくの友だちがスッと立ち上がり、ハンカチを拾い上げ、すいません、これ落としてますよ、と彼女を呼び止めたのだ。
電車をおりかけていた彼女は呼び止められて少し驚いた様子だったが、ハンカチを受け取ると、ありがとうございます、と何度もお礼を言って去っていった。

その一連を知っている車内の空気が一瞬沈黙した。
吊り広告のグラビアのおっぱいを眺めている人も、新聞を読んでるふりをしている人も、遠い夕焼け空をうつろに眺めている人も、その短い時間、頭の中は彼のことでいっぱいだったはずだ。
隣に座っていたかわいらしい二人の女の子にいたっては放心状態で、いけない、おりなきゃ、と言って慌てておりていった。

彼のとった行動はみんなの中に疑問符を投げかけた。
そしてその投げかけられた疑問符は、みんなのまわりのみんなに波及していくだろう。
例えばあの女の子達が晩ごはんのときに、今日、こんな人がいたんだよ、とお母さんに話すみたいに。
あるいは、いい子振りやがって、かっこつけんじゃねえよ、と思うひねくれものもいたかもしれない。
でも何にせよ、彼は何らかのメッセージを世の中に向かって投げかけた。
そして投げかけられたそのメッセージは、世界を少しだけいい方向に前進さすだろう。
そういった、少しの勇気と行動力は百万語の善言に匹敵する。

無関心が売りの世の中にあえて刃向かっていくそんな奴が、ぼくにはとてもカッコよく見えたのだ。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

心に残ることば

心に残ることばというのは、ちょっと意外なものが多くないですか。
あんまりいかめしい格言めいたものでなく、もっとこう簡単な一行ぐらいのもの。
最近よく思い出すのは、

「わたし、人間が好きなんです」

という一言。
何か心に引っかかっててたまに突然、フッと思い出す。
まるでぼくの心が勝手につかまえて大事にとっておいたみたいに、何年かたった今、じわじわじわと効いてきた。

彼女は弟と一緒にネパールからインドへ旅をしていた。
スポーツが得意そうな、ソフトボールでもしてそうなタイプで、いつも明るく元気だった。
反対に弟はというと、日本によくいるちょっと内気で反抗的な若者、といった感じ。
目つきが鋭く他人に対していつもどこか緊張したところがある。
でもきっと旅をしてるのが楽しいんだろう、姉さんのいうことを、何だよとか、うるせえなあ、とか言いながらもちゃんと素直に聞いている。
きっと旅に出るときも姉さんが、いいからあんたも来なさいっ、て引っ張ってきたんだろうなあ。
そんな様子は日本で閉塞している若者が活力を取り戻していくのを見るようで、とてもほほえましかった。

日本にゴマンといる、無気力なやるせない若者も、彼女みたいな姉さんがいれば幸せなのにね。
そういう意味で彼はとてもラッキーだったのかもしれない。
きっと彼の中で何かが生まれたことだろう。
これから先がきっと違ったものになると思う。

そんなふうに、無気力な不良の弟をかえてしまうぐらいの姉さんだから、やっぱりみててもとてもエネルギッシュだ。
話してるとこっちもなんだか元気が湧いてでてくるようだ。
そんな彼女が、自分のこれまでしてきた旅の話の途中でふと、「わたし、人間が好きなんです」

と、こう言った。
普通に、さらりとそう言った。 
単純な説得力がそこにはあった。
当たり前のようで当たり前でない言葉。
簡単なようで実はなかなか言えない言葉。
素敵な言葉だな、と思う。
そんなふうにすがすがしく言える彼女を、ちょっとうらやましく思った。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

ローマで出会った2人組

あの2人組に会ったとき、ぼくはもうずい分長く旅をしていた。
そしていささか疲れていた。
非日常なはずの旅の毎日は、いつのまにかすっかり日常的な景色になってしまい、何をみても、何が起っても、無感動に処理する術を身につけてしまっていた。
一言でいえば、旅に対して”スレていた”のだ。

どんなことに関しても、”スレる”ということは起こりうると思うんだけど、旅というのも決して例外ではない。
初めのように一日に3回ぐらい人生観が変わるような感覚は、知らん間にどっか行ってしまっている。
どんな話を聞いても、ああ、あれね、だとか、それならまだマシなほうだよ、だとか、知ったような口しかきけなくなってくる。
悲しいことに。

そんなときにローマで出会ったあの2人は、思いっきりフレッシュだった。
もちろん初めての海外旅行だし、英語も全然はなせない。
おまけに、持ってきたガイドブックは何の役にもたたず、自力でユースホステルまで辿りついたらしい。
そして、その小さな成功に大いに感動している。
欧米の旅行者をつかまえては単語帳片手に、英語の練習。
自分達が英語で会話していることにものすごく興奮している。

もうぼくは、英語で会話する喜びなんてとうの昔に忘れてしまっていたし、そんなにしゃべれるわけでもないので、自然と、外人旅行者は遠ざけていた。
まあ、コンプレックスみたいなものだ。
すると向こうもやっぱり遠慮するし、近寄ってこなくなり、変なギクシャクした関係が出来あがる。
こんな風に日本人は世界各地でコミュニティをつくっていく。

でも、彼ら2人はそんなのちっともおかまいなしだ。
英語が話せない自分達を恥じていない。全力でぶつかっていく。
すると向こうも、ぼくには決してみせたことのないような笑顔で彼らに接する。 
両者の間の壁なんてのは消えてなくなる。

ぼくは、ほほう、と感心してしまうのだ。そして思い出す。
ああ、自分も昔はああだったなあ、と。
これがいけない。
初心を忘れて知ったような顔してると、ろくなことになりやしない。
本当は楽しいはずのことでも、楽しくなくなってしまう。
例えば、欧米人旅行者と付き合うのだって楽しいに決まってるのだ。
それをいじけて、どうせ英語話せんし、だとか、あいつらとは考え方会わねぇし、だとかいって、スネて部屋のすみっこで固まっている。 
全くろくなもんじゃない。
分かりあえない壁なんてのは何のことはない、勝手に自分でつくっているのだ。

そのときの彼らは、しらけて湿気ていたぼくの心に、爽やかな風を吹き込んでくれた。
初心に返る大切さを教えてくれた。
おかげでその後の旅のスタイルも少しは変えることができたと思う。
そして何よりも、教訓としていい勉強をさせてもらった。
全くもって2人のおかげだ。 ありがとね。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

年令にまつわる話

もし仮に自分の年令を今まで知らなかったとして、そんな生活が成り立ち得ただろうか。
絶対ムリだろう。
学校へ入るときだって何するときだって、年令とはとても重要なものになってくる。
日本では、ね。

でもインドみたいな国ではそうでもないようだ。
以前書いた、インドで結婚した女の子、のだんなさんは思いっきり知らんかった。
お母さんも知らんかった。
誰も知らんかった。
ただ彼が生まれたのはマンゴーのおいしい季節だった、とだけ知られていた。
そのかすかな情報と、心もとない推量とによって彼の年令はきめられた。
そして国際結婚に臨んだのだ。
要するに、その日まで年令を知る必要が全くなかったのだ。
彼の生活において。
まあ、よっぽど田舎だし、貧しい育ちだからかもしれんけどね。
でもその辺りではけっこう普通みたいだ。
だから150才のじいさんばあさんがいても、当てにならない。

こんなのを聞くと驚きとともに、ちょっと不思議な感じがする。
べつに年令なんて知らんでも生きていけるんだなあ、と新鮮な感覚にとらわれる。
体が軽くなるような自由さを感じる。
かなりいい加減な社会だな、と思う。

でももともと年令なんて、生きていく上でそんな重要なものじゃなかったのかもしれない。
ただ文明が進んで社会が複雑になって、それとともに色々ややこしい制度ができて、細かくなってその結果だろう。
そう考えるといわゆる今の文明国の現状には他にもたくさんの
そうたいして重要じゃない重要なこと、が色々あるような気がしてくる。
ぼくらが気にしている様々なことは、実はそれほど大したことではないのかもしれない。

こういった無秩序なエピソードや社会を見せられるとそう思う。
笑かしてくれるわ。まったく。
人間や人生なんてずっとシンプルでストレートなものなんだろうな、きっと。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

偶然と必然

偶然の必然性について昔から考えていた。
旅をしていて、もっと考えるようになった。
きっとぼく以外の人も、旅をすればそう考えるようになると思う。
偶然は必ずしも偶然ではなく、必然は必ずしも必然ではないということ。

例えばぼくが旅をしたての頃、タイのバンコクである女の子を病院につれていった
右も左も分からんときで、無事彼女を送り届けたときには、ひとまわり大きくなれた気がしたもんだ。
そんなふうに、ぼくを成長させてくれた彼女なんだけど、それっきりで、とくに名乗り会うでもなく、知ってるのは名前ぐらいだった。
そんな彼女と、何と、1年後にインドの山奥で再会したのだ。
本当に山奥で、だよ。何も待ち合わせなんてしとらんのに、だよ。
バスで乗り合わせたのだ。
彼女は座席に座ってた。
乗り込んでいったぼくと目が会って、あ、日本人の女の子だな、と3秒後ぐらいに、ああ、ひょっとしてあのときの、となったのだ。

再会してからその後しばらく一緒にいたけど、劇的な再会を果たした割には特にぼくにとって特別な存在だったわけでもなく、恋に落ちるでもなく、そのままサラサラとお別れした。
かえって、会わん方が良かったかな、と思ったりもした。

まあ、それだけのことだけど、ただ、あんなとこで偶然に会うとはな、とさっきのあれを考えた。
運命が変わったとは思わないけど、あのバスで、何の約束もなく乗り合わせるタイミングは、軽く見のがすわけにはいかない。
約束してたってムリだ。あんなことは。
日本のバスならまだしも、インドのバスには不測の事態が多すぎる。
しかも、あんな山奥の小さな村で、だ。
ここまでくると、奇跡だ、もう。
そうやって考えると、その出会いになんらかの意味を求めてしまう、が、やっぱり何もなさそうだ。
まるで、神様がヒマつぶしに遊んでるみたいだ。

でもちょっと思うのは、類は友を呼ぶ、っていうのはこういうことかな、と。
多分彼女とぼくの中には何か似たとこがあって、その似たとこが共通の興味や趣味になったりして、だから同じところへ行ってみたいな、と思ったりして、その結果出会って、また出会って、これは必然といえば必然だし、偶然といえば偶然だし、どう、そう思わない?

だから偶然出会うっていうのは、高度に綿密で科学的なわけで、必然ということもできるし。
反対に、接点がまるでない人とはまるっきり出会わない。
言い換えると、出会いというのはどれも出会うべくして出会ってる、ということだ。
こう考えると、人と人との出会いがすごくエキサイティングなものになると思うんだけど、どうだろう?

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

テヘランでのケンカばなし

人間っていうのは面白いと思う。何が面白いって、色んな人がいるから面白い。
自分の思いつかないこと言う人やする人がいるから面白い。
でも、大人になるにつれてだいたい似通ってくる。 パターンが限られてくる。
多分、仕事や学校や何やかやで、色んな常識を身につけなきやならなくなるからだと思う。

そんな型通りの人と話してても、全然面白くない。
なぜなら言ってることや、やってることが大体想像の範囲をこえないからだ。
つまり大人なのだ。

反対に子供っていうのは自由だ。 常識なんて関係ない。
無茶苦茶なことを言うし、する。 見てるとハラハラドキドキする。
ときにはぶん殴りたくなるくらいムカついたりもする。
こっちの感情を激しく揺さぶる。
刺激的だ。

思えば、いわゆる第三世界と呼ばれるところにすんでる人達は、みんな子供なのだ
おっちゃんも、おばちゃんも、子供も、みんな。
だからみてると、とてもおかしい。
アジアなんか旅行してる人はきっと、そんなのが楽しくてやめられないんじゃないのかな。
そのせいか、旅行者も似たような人が多い。 無邪気な人が多い。
だから社会性がないのかもしれんが。

ぼくがイランで会った人もそんな人だった。
ぼくはイスラムの国々が大っ嫌いなんだけど、その大きな原因はイランにある。
とにかくイジメられた。とても理不尽に。 特に、貧乏人の子供達や若者に。
多分、ストレスがたまってるんだと思う。
あの国のシステムや、周りの国との軋轢や何やかやで。
他の旅行者も結構そんな目に会ってて、その人もそうだった。
いつも怒ってた。   

ある日のこと、彼が顔を真っ赤にして怒っている。
どうしたのかと聞いてみると、Tシャツにドロっと何かついている。
パン屋でケンカになってパンの素をベチャっとつけられたらしい。
ぼくに話しているうちにだんだんおさまらなくなってきて、カメラの三脚片手に文句いいに行くと言うから、ぼくもついていった。
あんまり大事にならんように。 

パン屋に入るやいなや、彼は日本語ですごい勢いで怒鳴り付けた。
それにこっちには、途中で勝手についてきたイラン人が5、6人いたので、向こうもさすがにビビってすんなりと謝った。
おわびにイランのパンを3枚よこした。
彼は初め、こんなもんいるか、とか言っていたんだけど現金なもので怒りがさめて
くるや、ムシャムシャ食べはじめ、うまいなあこれ、なんて言っている。

さっきまでえらそうに言ってたのに。  あんなにプリプリ怒っていたのに。
いやあ、うまいもんはうまいでしょう、と明るく言ってのけた。  そんときの笑顔っていったら子供のようだった。 ピカピカ輝いてた。
もういい年なのに。
ぼくもさすがに呆れて一緒にパンを食べた。 実際おいしかったけどなあ。

こんな、さっぱりした無邪気さが好きだ。
弁償だ、とか、示談だ、とか、ねちねち陰湿なのはイヤだね、全く。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

シバ神をみた男

シバ神※をみた人を知っている。
インドで出会った人で、ヨガをしていた人だ。
40才の割にはとてもがっしりと、ピチピチとしていた。
そんな彼がぼくにいったのだ。

「僕は実は、シバをみたことがあるんだよ」と。

毎朝の瞑想中のことだった。
ふいに、発作的に駆けだして山をのぼりつづけた。
暗いうちから空が白んでくるまでのぼりつづけた。
そしてたどりついた山頂で、朝日とともに、全身青色の大男がヤリをもって立っているのをみたのだ。
破壊神らしく力強く、男性的に。
目がさめると、山の谷あいに大きな岩が挟まっていた。
どっしりと、ガツン、と。
どうやらそれのイメージが、もうろうとした頭の中で、シバを呼んだようだ。
要するに幻覚だ。
ただの。
でも僕はその話を信じる。
それがシバであったと断言する。
そしてシバをみた、と言えるその人が好きだ。
だってみえたんだもの。
他の人が見ることができなくたって見えたことには変わりない。
それが全てだ。神をみたのだ。
彼は知恵者ぶらず、聖人ぶらず、そういった。 
そしてそれがただの幻覚だ、ともいった、と同時に神をみた、といった。

矛盾だらけだ。矛盾だらけのおっさんだ。
でもこんな、現実が常識として写実的に規定されるのが当たり前の世の中で、矛盾を真実として堂々と言える感覚が好きだ。

矛盾しないものなんてこの世に存在しない。
そして矛盾しないものなんてぼくは信じない。

※シバ神/ヒンドゥー教でヴィシュヌ神と並び、もっともあがめられている神。破壊、踊りの神。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

インドで結婚した女の子

外人と結婚するということは、どういうことだろう? 
ぼくが旅で出会った女の子はインド人と結婚した。
突然結婚した。多分、衝動的に、だ。
しかもその相手の男は、インドでも最下層の部類に入る。 
想像できる?

階級というものは想像以上に厳格で、残酷なものだ。
壁は思ったよりも高く決してこえられない。
むしろ、初めっから乗り越えようという考えすらないのかもしれない。
生まれた途端に一生が決まってしまう。

そういう男と結婚した。
彼のなかに純真をみたという。
それで結婚した。
しかし、そんなのは夢の世界のお話だ。まるで現実感が伴っていない。
恋の話、といってもいい。
結婚なんていうのは思いっきり現実だ。夢や希望の話ではない。
現実に直面せねばならない。
国際結婚という現実や、カーストという現実や、インドという現実や、色々だ。

彼女はそれらを無視して、飛び越してしまった。
二人のあいだに何か形の見える結果だけを、急いで求め過ぎてしまった。
でも、分かる。
気持ちは分かる。    
旅とはそういうものだし、恋とはそういうものだ。
常に現実離れしている。
そのなかにいれば、つまらない現実なんて見なくてもすむ。
そう、現実とはいつもバカ正直でつまらないものなのだ。

でも、常に現実から離れつづけることなんてできない。
生きている以上、否が応でもちゃんと現実も直視しなくてはいけなくなってくる。

このへんが人生の大変なところだ。楽しいだけじゃ生きられない。
そうおもわない?

彼女は、旅という夢の中でさらに恋に落ち、結婚という現実によって引き戻された
これがいいのか悪いのかなんて分からない。
誰にもきめられない。彼女しだいだ。
ただぼくは、旅や恋といった夢の領域のもつ魔味がそうさせた、と思う。
そしてそれは彼女だけに限らず、旅や恋をする人全てにそっと寄り添っている。

その後、彼女はどうなったのか知らない。
どうしてるのかなあ、と、たまに気になってはいるのだけど。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。