雲南の雨

上海では時折しか降らなかった雨も、陽朔、昆明と南下するにつれ、本格的な雨季を感じさせるものになってきた。
もともと雨季は嫌いではなかった。
東南アジアの雨季は通り雨のようなスコールのあと、ぎらっとした日差しが降り注ぎ、それが木々に溜まった水滴に反射する光景が好きだった。
しかし昆明の雨季は違った。
一日中雲が出ていて、雨が降ったり止んだりする。
Hさんと会ったのは、そんな雲南省昆明のゲストハウスだった。

彼とはドミトリーの同じ部屋で、自然と言葉を交わすようになった。
専門学校を卒業し、数年間アルバイトをした後旅に出たそうだ。
彼は、22歳と私より一回り若かったが、不思議と気が合いよく話をした。
話題は必然的に、今まで行ったところで何処が良かったか、これから何処へ行くかなど、旅の話が多かった。
彼はインドシナを一通り廻った後、大理、麗江、中旬へと行き昆明に戻ってきたところだった。
これから再びラオスに入り、バンコクに出た後、ミャンマー、インドへと行くという。
一方私は、彼の通った、大理、麗江、中旬へと行き、理塘をまわり成都に出てから、陸路でラサに入る予定だった。
そしてラサの後、西チベットのカイラスという聖山を目指す。
そこは、高い金を出してツアーを組む以外、一般の旅行者が簡単に行けるところではなく、行方不明者も出る場所で、一人では絶対行くなと、いろいろな人から言われていた。
今回、そこへ行く事が私の旅の目的の一つでもあり、そのためにテント、寝袋、コンロなどを日本から持ってきていた。
私がカイラスの話をする度に彼の気持ちが、カイラスに傾いていることがよくわかった。
そしていつの間にか、一緒に行こうということになった。
カイラスへ一緒に行くということは、1ヶ月以上行動を共にすることになり、誰でもいいというわけではなかった。
その点彼となら、お互い気を遣わずやっていけそうで、パートナーとしては、申し分なかった。

そして、チベットの入口である西寧で落ち合う約束をして、彼は中国ビザを取り直しに香港へ向かい、私は大理、麗江、中旬を通り理塘から成都に抜けるルートを目指した。

そのルートは私にとってある思い入れのあるものだった。
この旅に出るときに友人が餞別としてくれた旅行記に、大理、麗江がいわば中国のオアシスのように書かれていたからである。
それに理塘については知り合いの撮った写真を見て、必ず訪れてみたいと思っていた場所だった。
旅行者の間でも理塘は「ラサよりもチベットらしい」と評判だった。
昆明の雨の中、私は淡い期待を抱きながら、まずは大理へと向かった。

大理に入ると雨はいよいよ降り続くようになった。
しかし、その合間を縫って自転車で古い街並みを見に行ったり、白族の草木染めの屋台を冷やかしたりして、居心地は悪くはなかったが、オアシスと呼ぶほどでもなかった。
さらに麗江に入ると雨は一日中降り続いた。
時期が良ければここから玉龍雪山という山が見えるはずだが、雨の中ではここが山に囲まれている気配さえ感じることができなかった。
さらに、ここは麗江古城という古い街並みが世界遺産にもなっているが、その街並みそのものが土産物街になっていて、情緒のかけらもなかった。
おまけに中国人観光客が、写真を撮れば必ず写ってしまうほど多く、そのガイドには少数民族の衣装を着たガイドが、旗とメガホンを持っている光景には苦笑せざるを得なかった。
なまじっか旅行記を読んで予備知識があったために、そこから自分で勝手にイメージしていた街並みと、実際の街並みがかけ離れていたことに落胆していた。
しかし誰を責めてもしょうがない。
中国は急速に変化しているのだ。

さらに駒を進めるように中旬へと来た。
麗江から中旬までの道は、山を切り開き、川に沿って走っていた。
川は連日の雨で増水して、濁流となっていた。
さらに土砂崩れも何個所かで起きていて、交互通行になっていて、そのために到着が予定より遅れた。
その光景はここからさらに標高の上がる理塘への道が、いっそう悪くなっていることを予想させた。
中旬の標高は3200M。
理塘は3900Mを越える。
中旬は小さな街だった。
有名な松賛林寺に行っただけで、あとは特にこれといって何をしたわけでもない。
ただ毎日雨のなか、バスターミナルへ行って、ここから先の道の状況を聞いた。
中旬から理塘まで道で一個所通行止めになっていて、いつ通れるかわわからないとのことで、仮に通れたとしても、そこから成都まで何日かかるか分からないとのことだった。
それではHさんとの約束の日に間に合わない。
私は毎日同じ質問をして、返ってくる答えも毎日同じだった。

そんな無意味な毎日を送っているなか、Hさんからメールは入った。
『香港で盗難に合い、20万円相当を盗まれました。チベットは絶望的です。』
そのメールを読み、自分でも驚くほど落ち込んだ。
ただ旅先で会った人なんだから、カイラス行きのパートナーはまた探せばいいとは割り切れなかった。
これで、Hさんと西寧で落ち合う約束も無効になり、急ぐ必要もなくなった。
しかし私には、雨の中、何日かかるか分からないルートをこれ以上進む気力がなかった。
もうほとんど投げやりな気持ちで、昆明へと引き返すことにした。

なんだか、旅がからからと乾いた音をたてて、空回りしているように思えた。
自分でも情けないほど弱気になっている。
それは、雨のせいだろうか。
それとも、また、独りになってしまったからだろうか・・・

鉄郎の軌跡
鉄郎 初めての海外旅行は22歳の時。大学を休学し半年間アジアをまわった。その時以来、バックパックを背負う旅の虜になる。2002年5月から、1年かけてアフリカの喜望峰を目指す。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください