始動

空港からのバスから見る香港の街は、
手塚治虫の描く未来都市のようだった。
巨大な高層ビルが、その高さを競うように乱立している。
その合間を縫ってバスは進んでいった。

旅の始まりは香港からだった。
香港を選んだのに、大した理由はない。
ここに大学時代の友人が仕事で赴任しているからだ。
私たちは香港の滞在中、彼のマンションでお世話になる。
私たちと書いたのは、私の彼女も香港に付いて来たからである。
彼女は3日間の滞在の後、帰国する予定だ。

香港での生活は、快適そのものだった。
友人のマンションは2LDKと一人暮らしにしては広く、
私たちがいても狭くは感じなかったし、
香港では何を食べても美味しかった。
買い物をするにも、片言の英語が通じた。
顔立ちは香港人とそう変わらないので、
好奇の目でみられることもなく、怪しい客引きもいない。
まして、彼女と一緒にいればその楽しさはなおさらだ。
昼間は彼女と街を歩き、夜には友人も交え一緒に食事をした。
また友人の仕事が休みの日には、香港を案内してもらった。

楽しい日々は、すぐに過ぎる。
彼女の帰国の日は容赦なくやってきた。
空港まで彼女を送るバスのなかで、学生の時の半年の旅を思い出していた。
あの時も彼女を残して旅に出たが、
帰国すると彼女は別の男の彼女になっていた。
旅をしているほうは、毎日が刺激に満ちた日々であっても、
待つほうはそうではない。
日常の中で待たなければならない。
行くほうと、待つほうでは大きな差がある。
だから別に彼女を恨みはしなかった。
ただ幸せになって欲しいと思った。

昨日の夜、
『いろんなことを覚悟したんでしょ』
と彼女は言った。
なんだか、謎解きのようなその言葉は私の胸の刺さった。
長い旅に出るということは、日本での生活から外れるのだから、
好むと好まざるとにかかわらず、多くの覚悟を背負うことになると思う。
人間関係や仕事、その後の人生において、
出発前とまるで同じというわけにはいかない。
旅はプラスにもマイナスにもなり得る。
時にそれが自分を助け、時にそれに縛られ身動きが取れなくなる。
自分でそのことを理解しているつもりであっても、
それを彼女から改めて指摘されると、
いろんな不安で押しつぶされそうになる。
人間は弱い。
いや私が弱い人間なのだ。

空港での別れの言葉はあまりに少なかった。
『じゃあ元気で』
『頑張ってね』
もっといろいろなの言葉をかけかたっかはずなのに、
他には何も浮かんでこなかった。
少ない言葉に多くの想いを託した。
それは彼女も同じだろう。
別れは不思議なくらいあっけなかった。
それはお互いに信頼し合っているからなのだろうか。
それとも彼女もまた、何かを覚悟したのだろうか。
それは私にはわからなかった。
とにかく自分で決めたことなのだと自分にいいきかせた。
自分で多くの荷物を背負い込んで決めた旅なのだ。

次の日から、一人で街を歩いてみた。
しかし昨日までの印象と全く違うことに驚いた。
初めての夜、未来都市に映った街並みも、
ただのコンクリートジャングルに見えてきた。
有名な2階建ての路面電車や、スターフェリーに一人で乗っても、
それはただの移動手段でしかなくなってしまった。
旅とは、そこに一緒にいた人によって、
こんなにも違うものに映ってしまうものなのだろうか。
別れの寂しさというのは、
一人になって何気ない瞬間にこみ上げてくることを私は知った。

しかし香港に滞在する上での快適さは変わらなかった。
食事は美味しく、ベッドは清潔だ。
これから先の長く厳しい旅を考えると、
いつまでもここで、
ぬるま湯につかったような日々を送るわけにはいかない。
早く次へと進まなければ。
焦りにも似た感情がこみ上げてくる。

アフリカの喜望峰への旅は香港から始まった。
日本での今までの人生を途中下車(STOP?OVER)したのだった。

鉄郎の軌跡
鉄郎 初めての海外旅行は22歳の時。大学を休学し半年間アジアをまわった。その時以来、バックパックを背負う旅の虜になる。2002年5月から、1年かけてアフリカの喜望峰を目指す。

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