ローマで出会った2人組

あの2人組に会ったとき、ぼくはもうずい分長く旅をしていた。
そしていささか疲れていた。
非日常なはずの旅の毎日は、いつのまにかすっかり日常的な景色になってしまい、何をみても、何が起っても、無感動に処理する術を身につけてしまっていた。
一言でいえば、旅に対して”スレていた”のだ。

どんなことに関しても、”スレる”ということは起こりうると思うんだけど、旅というのも決して例外ではない。
初めのように一日に3回ぐらい人生観が変わるような感覚は、知らん間にどっか行ってしまっている。
どんな話を聞いても、ああ、あれね、だとか、それならまだマシなほうだよ、だとか、知ったような口しかきけなくなってくる。
悲しいことに。

そんなときにローマで出会ったあの2人は、思いっきりフレッシュだった。
もちろん初めての海外旅行だし、英語も全然はなせない。
おまけに、持ってきたガイドブックは何の役にもたたず、自力でユースホステルまで辿りついたらしい。
そして、その小さな成功に大いに感動している。
欧米の旅行者をつかまえては単語帳片手に、英語の練習。
自分達が英語で会話していることにものすごく興奮している。

もうぼくは、英語で会話する喜びなんてとうの昔に忘れてしまっていたし、そんなにしゃべれるわけでもないので、自然と、外人旅行者は遠ざけていた。
まあ、コンプレックスみたいなものだ。
すると向こうもやっぱり遠慮するし、近寄ってこなくなり、変なギクシャクした関係が出来あがる。
こんな風に日本人は世界各地でコミュニティをつくっていく。

でも、彼ら2人はそんなのちっともおかまいなしだ。
英語が話せない自分達を恥じていない。全力でぶつかっていく。
すると向こうも、ぼくには決してみせたことのないような笑顔で彼らに接する。 
両者の間の壁なんてのは消えてなくなる。

ぼくは、ほほう、と感心してしまうのだ。そして思い出す。
ああ、自分も昔はああだったなあ、と。
これがいけない。
初心を忘れて知ったような顔してると、ろくなことになりやしない。
本当は楽しいはずのことでも、楽しくなくなってしまう。
例えば、欧米人旅行者と付き合うのだって楽しいに決まってるのだ。
それをいじけて、どうせ英語話せんし、だとか、あいつらとは考え方会わねぇし、だとかいって、スネて部屋のすみっこで固まっている。 
全くろくなもんじゃない。
分かりあえない壁なんてのは何のことはない、勝手に自分でつくっているのだ。

そのときの彼らは、しらけて湿気ていたぼくの心に、爽やかな風を吹き込んでくれた。
初心に返る大切さを教えてくれた。
おかげでその後の旅のスタイルも少しは変えることができたと思う。
そして何よりも、教訓としていい勉強をさせてもらった。
全くもって2人のおかげだ。 ありがとね。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

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