途中下車

私の旅は、そもそも途中下車だった。
その意味は文字通り、列車などを目的地まで行かず途中で降りるというものだ。
自分の将来がぼんやりと見え始めた私が、その人生を一度降りるという意味でこの『STOP-OVER(途中下車)』というタイトルをつけた。

もともと初めて途中下車という言葉の知ったのは高校生のときである。
もちろん、その意味はもっと以前から知っていたが、ある種の思い入れを持ったときが高校生のときだったというべきであろうか。

それは私の好きなある作家の、自身の若い頃を綴ったエッセイの一つに『途中下車』というタイトルのものがあった。
今となって記憶している内容も、曖昧だが、あえて調べることはせずに、私の記憶の範囲内で少し紹介したい。

彼、つまり若かりし日の作家は、高校3年生の冬、故郷から大学受験のために友人と列車に乗り、東京へと向かっていた。
そして、たまたま同じシートに乗り合わせた女子高生と言葉を交わすようになった。

彼らは連絡先を交換し、女子高生はある地方の街で降りた。
彼女はそこに住んでいる。
その後、彼らは、東京へと受験に行かなければいけないが、何を思ったか、彼女の住むとなり街で降りてしまう。
そして彼らは親から受験のためにもらったお金で、彼女の住むとなり街で、数日間過ごした。
しかし勇気がなく、彼女に連絡はできなかった。
その上、親には受験をしたことにして帰郷する。

後日、作家が友人の家に遊びに行ったときに、電話が入る。
作家がふざけて電話に出ると、例の彼女からだった。
彼女は作家のことを、彼の友人だと勘違いし、好意があることを伝える。
しかし作家は何も言わずに電話を切ってしまう。
つまり彼女は好意を拒否されたと受け取ったわけだ。
友人が作家に『誰からだ?』
と聞くと、
作家は『間違い電話だ』
と嘘をつく。
そして、その彼女と再び連絡を取ることはなかった。
作家がその紙面で打ち明けることができたのは、その友人が数年前に事故で亡くなったからだと告白している。

私が思い入れを持ったのは、青春の思い出の1ページとして共感したのではなく、途中下車することで、良くも悪くも、その後の出来事に物語としての広がりができるという点である。
つまりそれこそが、旅そのものの公式なのではないかと今でも思っている。

私自身はこの旅を、人生の途中下車と考えたが、同じレールへと戻るつもりであった。
もちろん途中下車はその後の生活に、いろいろな変化をもたらすであろうが、私は、 基本的には、旅をする前に考えていた人生を歩むつもりであり、それはゆるぎないと確信していた。
しかし途中下車はやはり私にそれを許してくれなかった。
私の途中下車は、その後の人生に変化をもたらした。

そして今では途中下車、つまりSTOP-OVERにもう一つの意味を考えている。
STOPは止まる。
そしてOVERは終わるという意味である。
つまり停止し、終わってしまうということは、同時に再び動き始めるために必要な動作なのではないかということだ。

そして私の旅もここに終わるが、再び別の暮らしが始まる。
途中下車したものの、元のレールには戻れなかった青年が、別の道を行く。
旅というのは変化への始まりなのかもしれない。
終着駅というのは同時に始発駅でもあるのだから。

STOP-OVER END

鉄郎の軌跡
鉄郎 初めての海外旅行は22歳の時。大学を休学し半年間アジアをまわった。その時以来、バックパックを背負う旅の虜になる。2002年5月から、1年かけてアフリカの喜望峰を目指す。

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