ウガンダ日本大使館職員募集

私は今まで海外で働きたいと思ったことはない。
まず語学が苦手だからかもしれない。
英語はもちろん得意ではない。
他の言語に至っては全くだめだ。
学生のとき、第二外国語に中国語を選択していたが、実際に中国に行ってみて、私はニイハオとシェイシェイ以外の中国語を知らなかったことは、改めて学生時代の、私の怠慢を自分自身で思い知らされた。
そういう理由以外にも、私はやはり日本で働きたいという気持ちが強い。
以前は、国際協力事業団の仕事や、海外青年協力隊に憧れていた時期もあったが、語学面でとうて務まりそうにない。

そんな私ではあるが、一度だけ心が動いたことがあった。
それはケニアの日本大使館に行ったときのことだ。

以前、トルコにいたとき、大量の80本ばかりのフィルムとテントを、ケニアの日本大使館宛に送っていて、それを受け取りに行ったのだ。
フィルムはもちろん旅で写真を撮るためであり、それを持ち歩くのが面倒なのであらかじめ送っておいた。
テントもトルコからケニアまでは使いそうにないので、送っておいたのだ。

本来アフリカを旅する場合、まず新しい国に入国したら、日本大使館に顔を出し、その国の治安状況と衛生状況の情報を得るのが良しとされているが、そういう真面目な旅行者はあまりいない。
結局はトラブルがあった後に行くことになる。

私もその荷物を受け取る用事がなければ行かなかった。
そこで荷物の手続きをしていたわけだが、その掲示板に、
『ウガンダ日本大使館職員募集。国籍問わず、英語、日本語の堪能な人』とあった。
つまりは現地採用というやつだ。
大使館は、どこもたいてい何人か現地のスタッフを雇っている。
しかし国籍を問わないということは、もちろん日本人でもいいのだろう。
しかも英語はともかく、日本語はもちろん堪能である。

そこに給料などの待遇面は書かれていなかったが、大使館職員であればそれなりには貰えるはずだ。
仕事内容は、おそらく雑務だろう。
重要な仕事は、日本から来る官僚の仕事だ。
それでも、
『けっこう面白そうだ』
と思った。
日本にいれば、まず国家公務員なんかに縁はないからだ。
海外に行って、日本国の国家公務員になったなんて、なんだか笑える話だ。
もちろん、日本の官僚と違って、エリートコースというわけにはもちろんいかないだろうが。

かつての私には旅の期限というがあったが、今はそれがない。
金の続く限り旅はできるのだ。
ここらで一つの場所にとどまり、仕事をするのも悪くはない。

ウガンダはケニアと同じスワヒリ語が使われている。
スワヒリ語を学べば、その後で、ケニアで日本人相手のサファリツアーのガイドくらいはできるかもしれない。

ケニアというのは、アフリカの中では観光のインフラも整っている、観光大国だ。
なにより野生動物を見るサファリツアーは人気だ。
私自身、このサファリツアーというのは、本当に楽しいものだと思った。
ランドクルーザーなどで、国立公園をまわるわけだが、野生のライオンなどが、2、3メートルの距離で見ることができる。
キリン、象、チーターなどもたいていは見ることができるし、バッファローや、ゼブラ、白サイ、黒サイ、ガゼルなどあげればきりがない。
そして何よりすごいのは、野生のそれを見ることができるということだろう。
お金を出せば宿泊施設も整っているし、新婚旅行に行ってもけして後悔しない場所だろう。
今までの旅のなかで、純粋な観光として一番楽しかったのは、このサファリツアーかもしれない。
ケニアの治安ももう少しよくなれば、日本からの観光客ももっと増えるだろうし、その手の仕事だってあるはずだ。
などなど想像は勝手に膨らんだ。

もう少しその職員募集の話を、詳しく聞いてみようかとは、思ったが、やはりそれは実行には至らなかった。
私は喜望峰までの旅の途中なのだ。
それが終わった後であれば、働くのも悪くはないが、やはり今は旅を優先したい。

ちなみに、私がトルコから送った荷物は、日本大使館から中央郵便局に送られ、そこで預かっているからと言われ、そこへ行って見た。
すると、あろうことか、
『君が取りにこないから、もう日本に送り返してしまった』
と言いうではないか。
伝票を見てみると、2月の中旬に荷物がケニアの到着し、そして2ヶ月後の4月の中旬には日本に発送されている。
たった2ヶ月しか預かってくれなかったのだ。
通常、6ヶ月は預かってくれると聞いていたのに。
私は日本大使館に戻って、職員に文句を言って、なんとかしてくれと言った。
対応してくれたのは、25歳くらいの私服の日本人青年だ。
彼もきっと現地採用なのではないか。
日本からやってくる官僚はもちろんスーツで働いているからだ。
『ケニアはそういう決まりですからねぇ、あなたが取りにくるのが遅すぎたわけですし。それに日本に送ってしまったものはもうどうしようもないでしょう』
という答えだった。
彼の言うとおり、すでに発送してしまったものは、やはりどうにもならないだろうと思い、私もそれ以上つっかからなかった。

きっと、仮に私がウガンダ日本大使館職員になったとして、やる仕事といえば、目の前にいる彼と同じように、長期旅行者の苦情を受けたりすることなのかもしれない。

まあ、それはそれで悪くはないが。

鉄郎の軌跡
鉄郎 初めての海外旅行は22歳の時。大学を休学し半年間アジアをまわった。その時以来、バックパックを背負う旅の虜になる。2002年5月から、1年かけてアフリカの喜望峰を目指す。

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