ベトナムの雨

全く関係がなさそうで不釣り合いにみえるものが一緒になって醸し出す絶妙なハーモニーというものが世の中にはたまにある。

もうずいぶん前に、「夏至」という映画を見た。ベトナムを舞台にしたものだ。ベトナミーズ・アメリカンの監督が撮った映画。

内容は特に憶えていないのだが、映像がとてもきれいで、アメリカ育ちのベトナム人監督だからこそ感じとれるであろう、洗練された、客観的なベトナムがうまく表現されている。

アジア的なものと、それとはまるで正反対の欧米的なものが混ざり合うと、まれに、全く新しいスタイルのものが生まれることがある。
それは斬新で,一歩先ゆく文化だと思う。
「夏至」に関していえば、音楽だ。

ルー・リードというニューヨーク・アンダーグラウンドカルチャー界のカリスマがいる。
彼は昔、その名も、ベルベット・アンダーグラウンド、というアンダーグラウンド・バンドを率い、60年代後半のニューヨーク・ポップカルチャーの中心的人物、アンディー・ウォーホールとともに時代を牽引した。当時の多くの奇抜なフリークス達が、時代の波とともに淘汰されていくのを尻目に彼は生き残り、ソロとして活動を続けた。

ルー・リードは低い声で囁くように歌う。
バンド時代の暴力的で破壊的なサウンドは身を潜め、穏やかな調子でしっとりと歌う。

「夏至」には、その彼の曲が使われていた。
特に雨のシーンに何曲か ――

ベトナムはよく雨が降る。
ぼくがいたときはちょうど雨期の真只中だったため、毎日毎日四六時中雨が降り、じとじとじとじとしていた。
当然、何をやる気もきれいさっぱり消え失せ、ダニに噛まれた手や足をぼりぼり掻きながら一日中、何をするわけでもなく、湿ったふとんの上でごろごろごろごろしていた。

そんなベトナムの雨のシーンにルー・リードの低く、湿った歌声がゆっくりと流れるのだ。
ベトナムとルー・リードなんて一見、食い合わせの悪い食べ物みたいな関係で、ぼくのような平凡な感性の持ち主には到底思い浮かぶべくもなかったのだが、実際それらはとてもよく調和して、まるでルー・リードは最初からベトナムの雨を想って歌っているかのように思える程だった。
なんともいえないけだるい感じ。
ベトナムの雨と湿気は、人間から全ての気力と活力とを奪い去る。寝ころんだまま、動きたくなくなる。
もう,一生寝ころんでいたくなる。
そうやって寝ころんでいる所に、ルー・リードの湿っぽい歌声は汗や湿気を通り抜け、全身にすらすらと染み込んでいく。
ブウン、ブウン、と蒸れた空気をかき回す、くたびれた扇風機。
退屈な午後。
湿っぽい、暑さ。
そして雨音。

最初からこのことを歌ってたんじゃないの?
というぐらいぴったりだった。

何か、クールだね。
まるで正反対の文化が融合して全く違ったものになる。
化学反応でも起こすのかな?
世界中のそういった組み合わせを発見して、組み合わせていけたら、新しいものがいっぱいできそう。
それって、グローバルってことなんではないだろうか。
ゾクゾクする。

「夏至」で描かれていた風景は、確かにベトナムだったのだが、同時に、ベトナムではなかった。実際ぼくが行って、見た、ベトナムの印象はあんなものではなかった。
もっとリアリティに溢れ、地に足の着いたものだった。

ただ、印象としてはものすごくよく分かる。
ああだった。
一日中動きたくなくなるような、倦怠の雨。
怠惰な時間。
湿った空気に溺れるように、体を横たえる。
ルー・リードの歌声。
全てを放棄したくなるような、退廃的な時間。
艶っぽくって危険な香りが漂っていた。

ああ、ベトナムの雨。
湿っぽい空気。
うだるような、暑さ。

雨の日の今日、ルー・リードを聴きながら、ちょっとベトナムのことなんて思い出してみる………

doot do doot do doot do doot………

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

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