祈りを捧げて

智は、アムリトサルに着いて二日目の夕方、この街のメインであるゴールデンテンプルへ観光に行くことにした。ゲストハウスから歩いて二三十分の道のりは、賑やかなバザールで埋め尽くされていた。マナリーやダラムサラなどの山間部とはまるで違った久しぶりの街の熱気に、智は少々戸惑いを覚えた。山の中の静謐とした感じはまるでなく、あるのは、猥雑とした人々の熱気ばかりだ。しかしその熱気は、デリーのものとは異なり、粘り着くようにつきまとう人々の煩わしさはまるでなく、それが観光客ずれしていないせいなのか、はたまたシーク教徒の資質であるせいなのかは分からないが、むしろさっぱりしたもので、皆、親切に智に接してくれるのだった。智は、軽い足取りで久しぶりのバザールを歩き、ゴールデンテンプルへと歩を進めた。

ゴールデンテンプルに入るには、シーク教徒と同じように履物を預け、足を洗い、髪を覆わなければならない。智は、持って来た少し大きめのハンカチで頭を覆った。寺の敷地内には、白い大理石によって囲まれた大きな池がありその中心に金色のお堂が浮かんでいる。あれがゴールデンテンプルなのだろう。そこへ通ずる一本の橋を巡礼者達が次々に渡っていく。更に、それを取り囲む池の周りにも、橋へと向かう長い行列が延々と続いていた。巡礼者達に混じって智もその列に加わった。

礼拝に向かう人、礼拝を終えた人、また、池で沐浴をしながら祈りを捧げる人、皆、静かに自分の行いに没頭していた。その静寂が、それらの人々の行いをとても神聖なものに見せている。智は、静かな気持ちで一歩一歩足を踏み出していった。冷んやりとした大理石の感覚が素足にとても気持ちいい。傾いた日差しが、寺院の金色の屋根に反射して眩く輝いている。そしてその光が、池のほとりで寺院に向かってひれ伏している信者の全身を照らす。男は、静寂の中、ゆっくりと額を地面につけると体を起こし、手を合わせながら天を仰いで祈りの言葉を捧げる。そして再び時間をかけて同じ動作を繰り返す。その男の足下には、彼の祈りを祝福するかのようにマリーゴールドの花弁が、幾重にも重なって取り巻いていた。水面は、昼間の太陽とはまるで正反対の穏やかな夕日を弾き、揺れながら、強い輝きを放ち続ける。智は、それらの光景をじっと見守った。

――― あの男は何を祈っているのだろう? 何に対して祈りを捧げているのだろう? ―――   

彼のその姿は、何か、とてつもなく大きなものと一体化しているように見えた。その大きなものとは一体何なのだろう? 智は考えた。宇宙だろうか? それとも、それこそが神と呼ばれるものなのだろうか? 神 ―――    

智は、見よう見まねで礼拝を終えると寺院の一画にある博物館へと入っていった。そこにはシーク教徒の迫害の歴史が、絵画や写真によって連綿と連ねられており、予期せぬあまりにも凄惨なその内容に、何となく入って来てしまった智は思わず目を覆った。中には、虐殺されたシーク教徒の、弾丸や殴打によって歪んだ顔の実物写真まで展示されていたのだ。

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