いちから

取り調べも終わり数日経ったある日、心路は、仁にタトゥーを彫ってもらっていた。アシッドペーパーから起こした「チェ・ゲバラ」の肖像を右肩に入れるのだ。タトゥーマシンの金属的な連続音を聞きながら、ひたすらジョイントを吸って心路はその衝撃に耐えていた。

「やっぱ、あれか。これは一希のために入れるのか?」

マシンを使う手を休めて仁が心路にそう尋ねた。心路は、顔をしかめながらひたすらジョイントを吹かしている。

「いいや、そんなんじゃないですよ、仁さん。ただ、何となく、です。まあ、実際これは一希が最後に摂ってたアシッドなんですけどね……」

心路は、そんな風に一希のことを話せるぐらいに落ち着きを取り戻していた。大使館員や警察官との事務的なやりとりが、心路の心をいくらか紛らわし、平常心に戻していたのかも知れない。

「革命をね、起こしたいんですよ……。俺ん中で、革命を起こすんです……」

心路は、そう言うと再び顔をしかめて短く何度もジョイントを吸った。紫の煙が、心路と仁の体にまとわりついては消えていく。

「革命、ね……。確か一希もよくそんなこと言ってたような気がしたなあ。まだゴアにいる時に……」

仁がそう言うと、心路は、ハハハ、バレました?、と言って照れたように微笑んだ。

「これ、一希の口癖だったんですよ」

心路のその言葉に、仁は、やっぱりな、と言いながら微笑んだ。

仁の部屋から覗く外の景色は、信じられないぐらい晴れ晴れとしていた。遠く銀色に連なるヒマラヤの山々が、真っ青の透き通った大気を貫いている。

部屋の窓から、タトゥーマシンの震えるような金属音と、仁と心路の笑い声とが、爽やかな風に乗って遠く山々の向こうへと消えていった。

それから一週間程経ったある日、マナリーを離れた智と心路はダラムサラのバス停で別れを告げた。ダライラマに会いに来た二人だったが、折しも彼は日本訪問中で、謁見することはかなわなかった。ダライラマのいないダラムサラなど、特にメディテイションやチベット仏教に何の興味も持たない二人にとっては、ただのインドにあるチベット村というぐらいの印象でしかなく、すぐにそこを離れることにしたのだった。智は、パキスタンへ向かうためにアムリトサルへ。心路は、日本へ帰るために再びデリーへと向かう。帰って一希の葬式に出るのだそうだ。そして、もう一度日本でいちからやり直してみるという。ドラッグも止めて、直規とも何とかやり直せるように努力してみたい、と言っていた。智は、その言葉、特に”ドラッグを止める”という所に深い疑念を抱いたが、心路のその決心を素直に賞賛した。素晴らしいと思った。そんな心路の心の変化のせいか、心路の表情に今までずっとつきまとっていた暗い影のようなものが、今ではきれいさっぱり消えていた。心路の表情は、今や力強い輝きを放つまでになっていた。

智は、心路に握手を求めた。心路は力強くその手を握り返した。二人とも笑顔だった。今度こそ本当の別れだ。次に出会うのはいつになるか分からない。ひょっとしたらこれが最後になるかも知れない。

「じゃあな、智。気をつけてな。これから先の長い旅、あんまり無茶しすぎないように」「心路もね。さっきの台詞、ちゃんと覚えとくから」

心路は、笑って智の体を抱き寄せた。智も心路の体を強く抱きしめた。もうこれで、本当にお別れだ。

「じゃあな、サトシ。楽しかったぜ。お前に会えて良かったよ」
「俺も」

二人は、もう一度強くお互いの体を抱きしめ合った。

バスに乗った智を、見えなくなるまで心路は見送り続けた。智も、窓から身を乗り出してそんな心路に手を振った。相変わらずの透き通った快晴に、全てのものは智の瞳に輝いて映った。智は、目を細めながら、それらの景色を様々な思いを込めて眺め続けた。

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