臨界点

心路の宿泊している宿には、日本人ばかりが五六人宿泊していた。大体がゴアからパーティを追って流れてきた旅人達だ。智が知っている者も何人かいた。しかし、そもそもこのオールド・マナリーという小さな村全体が、ほぼ、ゴアにいた人間で占められているため、智は、心路の宿の人間だけでなく、この村に滞在しているツーリストの殆どの顔を知っていた。話をしたことはなくとも、少なくとも顔ぐらいは見たことがあった。ゴアにいたイスラエル人のドラッグディーラー達に至っては、ほぼ全員ここにいる。一本しかない村のメインストリートを歩いていれば、嫌でも顔を合わせる。中には智の顔を覚えている者も何人かいて、声をかけられることもままあった。

そんな村なので、しばらく滞在しているとまるでゴアの日々が戻ってきたかのような錯覚を感じることがあるのだが、ただ、決定的に違うのは、ここが山の中であるということでゴアのようなビーチの開放感や気軽さといったものは一切無く、一歩間違えたら確実に命を失いかねないようなストイックな緊張感を絶えず感じ続けていなくてはならないということだった。それが、ゴアとマナリーの、唯一にして最大の違いであった。

毎日の生活は何も変わらない。起きてから眠るまで何らかのドラッグで酔っ払い、パーティの始まるのを待つ。そしてパーティが終わると次のパーティまでを、またそのように生活しながら待ち続ける。それの繰り返しだ。他には何の目的もない。ただそうやって毎日を過ごし続ける。ただ、今の時期は、マナリーのシーズンとしては少し早い時期に当たるため、そう頻繁にパーティがある訳ではなかった。つい一週間程前、初めてのパーティが開催されたところで、もう二三日後に次の二回目のパーティがあるという噂だった。ただ、こういう予定も流動的で、それらはあくまでも噂に過ぎず、はっきりとしたことはその当日になってみないことには誰にも分からない。オーガナイザーやDJ、はたまた警察の都合によってコロコロ変えられてしまうのだ。オールド・マナリーに滞在しているレイヴァー達は、当てにならないそれらの情報に一喜一憂し、また、翻弄されながら、今か今かとひたすらその日を待ち続ける。そして散々裏切られ続けてきた彼らの期待はしだいにフラストレイションへと変わり、そのフラストレイションも、先のパーティが終わって一週間が経とうとしている今、そろそろ臨界点に達しつつあった。村全体が、ピリピリとした不穏な緊張感で満たされていた。

「今度のパーティって、いつになるの?」

智は、カフェの中庭にあるオープンテラスでジョイントを巻いている心路に向かって声をかけた。心路は、智の方へは顔を向けずに手元に神経を集中させながらそれに答えた。

「さあ…な。多分、明日か明後日ぐらいになると思うんだけど……。最近、色んな情報が錯綜してて、良く分かんないんだよ。この前のパーティだって、その日の夕方になってようやく分かったぐらいなんだから」

心路は、シガレットペーパーの縁をツーッと舌の先で舐めていく。智は、その様子をぼんやりと眺めていた。

心地良い日光が、テラスにはさんさんと降り注いでいる。それは、肌寒いマナリーの空気をとても気持ちの良いものに変えていた。チャラスの十分に回っている智は、そうしているだけで思わず居眠りしてしまいそうだった。

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