おみやげ屋1

ネパール、カトマンズ。
クマリ館の東隣にある大広場には、たくさんのおみやげ屋が店を開いている。クマリ館の東隣にある大広場店を開いている。
おみやげ屋といっても店舗を持っているわけではなく、広場に板をひき、その上に色々なおみやげを並べて売っている。
店の数は30を下らない。
それだけ店があると、ひまな店が出てくる。
いや、一日のほとんどを彼らはひましている。
だからであろう、彼らは毎日チェスをしている。
彼ら以上にひまな私は、観光もせず、チェスを眺めている。
ときどきやらせてもらうが、なかなか順番は回ってこない。
「チェスがやりたいのか」
後ろから若い男が声をかけてきた。
「やりたい」
私は彼の店先でチェスをやることにした。
彼の名前はロシャンという。
ロシャンは店の商品であるチェスを取りだし、駒を並べはじめた。
「売り物なのに良いのか」
と聞くと、良いという。
そのチェスの駒は、金属の駒で、怪獣のような形をしている。
駒の怪獣は、ネパールの何か意味のあるものらしい、説明をしてくれるが良くわからない。
というより、あまり真剣に聞いてない。
ゴジラに似ている、などと私は思っていた。
このときは完敗した。
また明日やろうと、ロシャンと別れた。

次の日、私はまたロシャンとチェスをうつ。
ロシャンが嫌な一手をうってきた。
おもわず、待ったをかけたくなる。
う?んと、うなりながら考えていると、人のけはいを感じた。
ふと見ると、欧米人がカメラを構え、シャッターチャンスを待っている。
その欧米人は私に、カメラを見ず次の一手をうて、と手振りでせかす。
ここは勝負どこだ、えいと次の一手をうつ。
シャッターがパシャパシャと切られる。
私の敗北は決まった。
カメラのせいだと私は思う。
それにしてもこの欧米人は解かっているのだろうか、私が日本人であることを。
毎日チェスをするうちに、私はロシャンと仲良くなった。
ロシャンがいう。
「一度、うちにめし食べにおいで」
私は行くことにした。
日が暮れ、私はロシャンと彼の友人と、店の片付けを手伝う。
驚いたことがひとつ、片付けた商品などを運ぶ仕事があり、かなり重いと思われる荷物をその職の人がひとりで運ぶ。
人間じゃない。
片付けおわった私たちは、彼の家にむかう。
ここだと言われた、ロシャンのアパートはいまにも崩れそうな建物だった。

いとう某 22歳のとき初めて行った海外旅行で日本とは違う世界に衝撃を受ける。まだ見ぬ世界、自己の成長と可能性を求めて旅した国は、5年間で35ヶ国。思い出に残る旅はエヴェレストを見たヒマラヤトレッキング。

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