エアメール
先日、エジプトから1通のエアメールが届きました。
差出人は紅海でダイビングライセンスを取ったときの先生からでした。
エジプトと聞いて忘れてかけていた記憶がよみがえってきました。
ピラミッド登頂隊
98年冬。前にも登ったことがあるとの理由でピラミッド登頂隊の隊長に選ばれた私は総勢10名を引き連れて深夜ピラミッドに忍び込みました。
闇夜の中、静かにピラミッドへと歩み寄ったのですが運悪く警備員に発見され、あっけなく一人御用。その隙に皆はイッキにピラミッドを駆け上がり始めました。
胸まであるような岩に手をかけよじ登り、てっぺんを目指しました。
「毎年数人は落ちて死ぬらしいよ」と誰かが冗談めいて話した言葉が頭をよぎります。
なるべく下を見ないよう、上空の暗いピラミッドの影だけを見つめるように心がけました。
とそのときずっと下の方から怒鳴り声のような声が風の音に混じって聞こえてきました。
我々の仲間とは違う別の影がずっと下の方で動いているように見えます。
警備員が追ってきたのかもしれません。登るピッチが自然と早まりました。
濃藍色一色だった空が、しだいに地平線のあたりから変化し始めました。
ようやく手元が見えるようになり、改めて自分の居場所の不安定さを認識しました。
約4600年前のピラミッドはところどころ風化が進んで、手をかけるだけでポロポロと崩れ落ちていきます。
落下し始めたらきっと大地に衝突するまで転がり落ちていくことでしょう。
岩を抱きかかえながらふと日本の新聞の三面記事のこんなタイトルが思い浮かびました。
「無謀な日本人旅行者ピラミッド登頂中転落。安易な冒険に警鐘!」
登頂
果てしなく続いているように見えた頂上も間近。
最後の岩に手をかけ頂上にようやく到達しました。
登り始めて約30分。すでに仲間の半数が先に登頂の喜びを噛みしめていました。
しばらくして登頂前に捕まったひとりを除き全員がそろいお互いの無事を祝っていると、突然浅黒いひとりの男が現れました。
「警備員が追ってきたのか?」だれもが最初はそう思いました。が どうも様子が違います。
「どこの国から来たんだ?」と警戒しながら尋ねると、その男は「インド」と答えました。
さらに詳しく聞くと、警備員にバクシーシ(ワイロ)を約1500円ほど渡して安全なルートから登ってきたということがわかりました。
誰もいないと思って登ってきたクフ王のピラミッドの頂上に日本人が9人もいたのだから我々以上にビックリしたことでしょう。
逮捕
あたりは急速に明るさを増しましたが、乳白色の霧で覆われ、朝日はおろか、すぐ近くに見えるはずのカフラー王のピラミッドさえ見えませんでした。
10分ほど経った頃、またひとり男が現れました。
今度は本物の警備員でした。
アラビア語で激しくわめいています。ピストルを振りかざし降りろと指示しました。
バクシーシで乗り切ろうと交渉しましたがまったくその余地なし。
ますます怒りを増すばかりでした。
これ以上の交渉は無意味と判断し、仕方なく私は「降りよう」と呼びかけました。
後で宿に戻ったとき仲間のひとり言うには、このとき銃声を聞いたそうです。
そんなことはありえないと思うのですが、もし空耳にせよそう思わせるほどの剣幕だったことは事実です。
下で待ちかねていた警備員たちによって、全員そろったところで我々はツーリストポリスに連行されました。
ツーリストポリスの薄暗い部屋に通され、壁際に全員立たされました。
みな深刻そうな顔つきでうなだれています。まるでいたずらをした中学生が職員室で立たされ、生徒指導の先生に怒られている姿のようでした。
バクシーシ
ひとりの警備員が近寄ってきて耳元でささやきました。
「バクシーシ?」バクシーシとはお金のことです。
何のことだかわからないようなふりをしてとぼけていると、男はひとりづつ聞いてまわり始めました。
バクシーシは決して払わないように皆に言い含めてあったので、何人かは肩を上げ両手を広げ、意味がわからないと大げさにジェスチャーを繰り返しました。
噂ではバクシーシを拒否していたら罰として腕立てや腹筋を命ぜられたグループもあったようです。
解放
こわもての警備員ににらまれ、我々はうなだれるという緊張した時間がしばらく続きました。
この緊張に耐えられなくなったのか仲間のひとりが突然震えだし始めました。
青ざめた顔して彼は「気分が悪い。風邪みたいだ」と訴えました。
極度の緊張状態が続くとある人は血の気がなくなって、立っていられなくなります。
以前にも同じような状況に遭遇したことがあり、風邪ではないことはわかっていました。
仲間が心配そうな顔をしています。
思わぬ展開になりましたが、これは言われるままにバクシーシ(お金)を払って解放してもらったほうがよさそうだ思い始めてきました。
どう切り出そうと考えあぐねていたところ、こわもての警備員が、こっちに来るよう合図をしました。
みな神妙な顔つきで従い、連れ出されたところは外でした。
警備員はどんどん前を歩いていきます。
ピラミッド地区の入場口まで来たところで、追い払われるように解放されました。
警備員もやっかいなことになったと思ったのでしょう。
バクシーシを払うこともなく我々は晴れて自由の身になりました。
バスに乗って窓から後ろを振り返り、あそこに登ったんだなあと小さくなったピラミッドを見て思いました。
あれから約3年になります。「登頂は今はむずかしいみたいだ」と噂が伝わってきますが、きっと今でもバックパッカーたちは安宿で有志を募って登頂を目指していることでしょう。そして警備員はバクシーシを要求する。そんなことが繰り返されていると思います。