怪し気な神様

旅をすると自分の価値観というものは、どんどん変わっていく。
いや、それは変化するというよりもむしろ、広がっていっていると言った方が適切かも知れない。
自分の知らない様々なものを見ることによって、視野が広がっていくのだ。
それは日常のほんのささいなことから、国と国との政治レベルの話に至るまで多岐にわたるのだが、特に宗教というカテゴリーは自分にとってなじみが薄い分、衝撃も大きかった。

旅に出る前ぼくは、特にどの宗教のことも詳しく知っていたわけではなかったし、また、興味もなかった。
強いていえば、仏教のことをほんの少し知っていたぐらいだ。
まあ、知っているといっても、おそらく平均的な日本人レベルだろう。
そんなぼくだからもし、神様、と言われれば連想するのは、キリスト教の宗教絵画のような後光の差した、イエス・キリストだとか、聖母マリアだとか、そんなものだった。
多分、普通の日本人だったらそんな感じだと思う。

しかし、そんなぼくの常識をものの見事にぶっこわしてくれた国がある。
チベットである。
(厳密に言うとチベットは中国なんだけど、面倒くさいので国と言うことにする)
そう、富士山より高い標高4000Mに位置する雲上の国チベットである。
そのチベットとは、民衆がチベット仏教を信ずることによって連帯しており、チベット仏教とは、かの弘法大師も学んだところの密教に由来する。
そのチベット仏教によって、ぼくの中の神様のイメージは、一遍に変更を余儀無くされたのだ。

チベットを旅するということは、半分ぐらいは寺巡りをするということである。
そうしてお坊さんに会ったり、チベット人が五体投地というお祈りをするところを見たり、仏像を見たりするのだが、そう、問題はその仏像なのだ。
仏像といっても色んな種類の仏像があって、お釈迦様もいれば観音様もいるし、また、それらをお守りする守護神達もいる。

しかし普通でないのは、まず、お釈迦様がセックスをしている。
座禅をくむような姿勢で、冥想中のような半眼に、柔らかな微笑をたたえつつ、セックスをしておられる。
これには本当に驚いた。
最初見たときには、一体何のことだかよく分からなかったけれど、聞いてみると、セックスをしているのだという。
ふと他を見てみると、今度は鬼のような形相の三つ目の怪物が、牙を向いてこちらを威嚇している。 これもまた神様だという。

そして、その神様が二体で今度は、立ったままセックスしている像がある。
二人とも三つの目玉をひんむいて相手を睨み付けながら、牙と牙をすり合わせるようにして舌をからみ合わせている。
しかも手は6本もあって、相手の体の至るところに張り巡らせながら、しっかりと支えあっている。
後ろでは炎がぼうぼう燃えている。
さらによく見ると、足下には誰だかが踏みつけられている。
一体何のことだかわからない。

そしてお寺の壁面には、それらの仏像をモチーフにした壁画が、全体にびっしりと描き込まれており、まわりには、ヤクと呼ばれるチベットの牛からとれるバターを燃料としたロウソクが、何百本も独特の匂いを放ちながらゆらゆらと揺れている。
さらにその前で、100人ぐらいのお坊さんの読み上げるお経が、ハーモニーとなって寺院全体に共鳴している。

こんな怪し気な場所に来たのは、生まれて初めてだった。
ぼくの中の神聖なイメージとは、あくまでもキリスト教的なイメージであり、決してこんなおどろおどろしいものではなかったのだ。
でも、チベット国民全員が、一人残らずこれらの怪し気な神々を神聖なものとして、また、この空間で行われている怪し気な儀式を、神聖かつ、崇高な儀式として捕らえている。
これが彼らにとっての神のイメージなのだ。

それは揺るがしようのないもので、当の本人達にとってみればちっとも怪し気でも何でもなく、もう全く当たり前のことであり、彼らにとってみれば、セックスしているブッダだろうが、鬼のような三つ目の怪物だろうが、何の不思議もなく神様なのである。
つまり、それが常識なのだ。

ぼくが旅に出て一番痛感したのは、常識とは決して一つではないということ。
この世の中に国があれば国の分だけ、もっと言って、人がいれば人の分だけ、常識は存在するということ。
そして絶対的な常識などというものは、決して存在しない。
キリスト教的な神聖さもあれば、チベット仏教的な神聖さも同時に存在する。
それはまぎれもない事実であり、どちらが正しいかなんて誰にも決められない。
世界には数えきれないくらい色んな価値観があるのだ。
チベット仏教の怪し気な神様達は、ぼくにそんなことを教えてくれた。

こうしてぼくの中の神様のイメージは、そうした怪し気なものも加わって、ずい分ユニークなものとなったのだった。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

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