ぼくはいかにして旅に出たか – 全ての旅立ちたい人のために

日本という国が大っ嫌いで旅に出た。
世界を旅するようになった直接の動機はそれだ。
日本の社会構造、人の気質、文化、習慣、全てが嫌だった。

常に自分は周りから疎外され、
社会全体からノーと言われているような気がしていた。
日本という国を憎んでいた。
だから世界にはもっと自分にあった、住み心地の良い、
いい国がたくさんあると思っていたし、自分は日本を出て
そういう国に住むしかないのだ、と思っていた。

始めはアメリカに憧れた。 強烈に憧れた。
アメリカ的なファッション、映画、音楽、
全てが日本のものよりも魅力的に思え、
反対に日本のものは全てがそれらを真似た
まがい物のようでとても安っぽく思えた。
日本には文化などないのだ、
と大学ぐらいまで本気でそう思っていた。

とにかく何か漠然とした大きなものに
とても腹をたてていた。
それがなんなのかは明確に分からなかったため、
その怒りをどこに持っていっていいか分からず
毎日を悶々とすごしていた。 
                          
そして初めて旅に出た。 でもそれは旅というよりも、
2週間ぐらいのパッケージツアーで
いわゆる海外旅行といったものだった。
友だちと二人でニューヨークへ行ったのだ。
そのときは毎日が興奮の連続で、
映画でよく見るタイムズスクェアや、
セントラルパークに自ら立ったとき、
今まで実体性の薄いメディアの情報でしかなかったものが、
目の前に敢然と実体性をともなって存在したため、
自分が世界とつながったような気がしてドキドキしたのを
鮮明に覚えている。

 ”ああ、やっぱりオレの居場所はここなのだ、
   ここしかないのだ、オレは絶対ここに住んでやる”

と堅く誓ったのだった。 
そんな思いを抱きながら帰国した。
その後、自分がニューヨークで生活しているさまを
毎日頭に描きながら、
そのための資金をこつこつと貯めていった。

しかし、ひとつどうしても心に引っ掛かることがあった。
それはニューヨークに住む具体的な目的が
何もなかったということだ。
ただ漠然とニューヨークに住みたいと思っているだけで、
何がしたいっていうのは何もなかった。
ただ生活がしたかったのだから。
要するにアメリカ人になってしまいたかったのだ。
それであまりの無計画さに不安を感じ、
ある程度たまったお金で、一度、偵察がてらに
アメリカを旅してみることにした。
それが初めての一人旅となった。
そして実際に目的もなく2週間程滞在してみて得た結論は
ニューヨークには住めないということだった。
ああ、これは無理だなと思った。
決してそれは2回目に行ったニューヨークに
失望したわけではなく、やはり当初から危惧を感じていた
目的の不在が原因だった。
                          
そのときは観光気分だし、他の旅行者にも出会えるし、
とても楽しくすごすことができたのだが、
果たしてこれが生活となるとどうだろう。
よくよく考えてみると
とても無理だということがよく分かった。仕事や学校など
やらなきゃいけないことがあるのならまだしも、
ただ無目的に暮らすなんていうのは明らかに不可能だった。
それにその後、アメリカの色々な都市をまわってみたが
慣れてくると、大都市なんていうのは
みんな似たようなもので、旅の終わり頃には
あまり刺激を感じなくなってしまっていた。
アメリカという国の印象が、
自分の中で大きく変化していることに気がついた。
何だか慣れてしまえば日本とそんなに変わんないじゃん。
そんな風に思い始めていた。
アメリカ人やアメリカ生活なんて、
自分が思ってた程カッコよくなかった。

そして数年後、
ぼくの目の前にはアジア大陸が広がっていた。
想像もつかないアジアの国々が、でん、と待ち構えていた。
アジア人としてのぼくが、
アジア人としての自分自身を再認識するための鍵が
そこに眠っているように思えた。

ああ、そこ行けば何か見つかるんじゃないか、
いや、そこ行かなくちゃこの先
何にも見つけることができないんじゃないか、
そんな風に思ってぼくは2回目の旅に出るのだった。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

「ぼくはいかにして旅に出たか – 全ての旅立ちたい人のために」への2件のフィードバック

  1. 今22歳なのですがアメリカ留学しています。日本にいたらあまりにつまらなくてインドへの旅か、アメリカ留学か一時考えました。でもインドの旅は旅ばかりしてるろくな仕事していない人でパーテイに行くことばかり考えている人でした。アメリカにきて勉強してでも少し後悔していました。でも最近になって一種の洗脳のように旅を考えていた自分に気がつきました。ここでがんばった7か月で私は成長したっていえるし、何よりただ快楽を求めるのがライフではないことを知りました。旅だけで人生が変わるなんて私もありえないと思います。そんな簡単な自己もおかしいです。ただ好きな旅行としての旅はリフレッシュできるし得るものがあるのですきです。昔はインドへいかなきゃ人生決められないなんて思っていましたが、今はただインドという国があって各々が今を生きているっていうふうに受け止めています。

  2. ぼくも貴方のように何もかもが嫌いで日本を単身出ました。1969年のことでし
    た。19歳の秋。シベリア経由でヘルシンキへ。1週間底にいて、それから2年北欧
    デンマーク滞在。その間にアメリカ、カナダを回る。帰りは南回り、インド、タイ、
    香港と乗り継いで大阪。
    それから大学へ。日本を再発見。卒業、就職、結婚。そしてアメリカへ。アメリカで
    3年。日本を再再発見。
    それからまだ色々あり、気がつけば今は一人でふるさとの山の中。
    いつも移動、空間と時を渡りながら、迷い迷い続けて50年。
    あともう一度、インドへの旅が残っているような感じがする。

    貴方の文章を読んで頭の中を上の映像が流れたのでした。

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