アン・オールド・ソルジャー 2

彼はそう言うと、自分の左腕をまくってみせた。
そこには、米海兵隊のいずれかの部隊の紋章であろう、カミナリのような入れ墨が、しわしわの肌にぼやけて彫り込まれていた。

 「どうだ、これを10ドルで売らないか?」

そもそもこのライターは、日本では当時、一万円前後で取り引きされていたような代物だったため、彼の唐突で、法外な要請には少なからず面喰らった。
それに、友だちがくれた大切なものだったため、もとより売る気はなかった。
その旨を伝えると彼は、20ドル出そう、とかすかな抵抗を試みたが、やがてあきらめ、名残り惜しそうに何度も眺めてはバスに乗り込んでいった。

ぼくのライターは彼に何を思い出させたのか。
彼のベトナムとは、一体どんなものだったのだろうか。

ぼくは、かつての米軍兵士に思いを馳せた。
彼の過去、そして現在。
戦場におもむき敵を倒し、来る日も来る日も死の恐怖と格闘しながら、幸運にも生き残ることができた彼は、一体、今、何を思い、どんな世界をみているのだろう。
きっとぼくの住んでいる世界からは、大分遠いところにいるのだと思う。

ベンチで座っていたあの日、短い時間、ぼくと彼の距離は触れあう程に近かった、が、その心の奥底の距離は、計り知れないぐらい、遠く隔たっていたことだろう。
ぼくは戦争を知らない。
爆撃や狙撃の恐怖を知らない。
人の死んでいくのを知らない。
かろうじて知っているのは、戦争のもたらした残骸だけだ。
ぼんやりとしたイメージだけだ。

過ぎ去りし日の海兵隊員は、ベトナムライターの向こうにどんな光景を思い描いていたことだろう。
そのとき、彼の心には、一体何が映っていたのだろうか。

みすぼらしく痩せて老けこんだ彼に、かつてのアメリカ海軍兵士の面影はまるでなかった。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

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