中国式トイレの悪夢2

生きている便
中国雲南省から外国人未開放地域を中国人に変装してヒッチハイクしていたときのことです。
夜、どうしてもトイレに行きたくなって、懐中電灯を持って外に出ました。
このあたりでは電気は夜の限られた時間しか発電していません。
だから夜中になると電灯はすべて消えてしまうので懐中電灯は必需品です。

外のトイレは高床式の小屋で、階段をのぼり、足を踏み外さないように懐中電灯を照らしながら、慎重に穴場を確認してよいしょっとまたがりました。
用を済ませ何気なく穴場を照らしたところ、ナ、何と穴場の下で光に照らされた部分が波打っているではありませんか。
「生きている?!」そんなバカなと思い、目を見開いて顔を近づけてみると・・・・うじうじうじだらけ。
正体は”うじ”の大群が懸命に泳いでいる姿でした。
まるでホラームービーの世界のようでした。

中国の奥地は下水などというものはありません。
貯めておいて後から肥やしにというのが基本のようです。

こんもり
これもヒッチハイクをしているときの話です。
バスが山あいにある街道沿いの村で停まりました。
トイレ休憩のようです。
バスは次いつ停まるかわからないので用は行けるときに済ませる、これは一度下痢で痛い目にあった自分の鉄則です。
トイレに向かう乗客の後について自分も外に出ました。

ところが公衆便所に入ってみてビックリ!
便座の中に、ナ、何とあれがこんもり積まれているではないですか。
しかも2、3人の分量ではありません。
隣にしよう、と隣に移ると、さらにそれ以上の山が・・・
覚悟を決め、勇気を出してその上にまたがりました。
ふつうにしゃがんではおしりについてしまいます。そこで、かかとを持ち上げ、やや中腰の体勢で腰を固定しました。
当然すぐに足はプルプル震えだし、ふくらはぎはパンパン。
しかし耐えるしかありませんでした。

バスに戻って、ふくらはぎを一生懸命マッサージしている私を隣の中国人は不思議そうに見ていました。

にわの軌跡
にわ 21歳のときに五木寛之氏の「青年は荒野を目指す」に影響を受け旅に出る。25歳の時、勤めていた会社を辞め、上海行きの船に乗船、世界一周の旅へ。2年後帰国。訪れた国は約80カ国。現クロマニヨン代表。

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