写真機という道具

今、カトマンズのゲストハウスのテラスで、コーヒーを飲みながらこれを書いている。
こんなにゆったりした気分になれたのはラサ以来だ。
ここはTシャツとショートパンツで、暑くもなく寒くもない。
夜風が心地よくて、それに身を任せていると、ほんの数日前まで西チベットの過酷な環境にいたことが信じられない。

西チベットは旅している間は、電気のあるところに泊まったことも少なく、ゆっくりと日記を書く余裕がなかった。
その代わりに思ったことや、感じたこと、見たものなどを、ちょっとした時間に小さな手帳に書きなぐってきた。
それを見ると、ラサを出てからカトマンズに着くまで実に42日間かかった。
そのうち日本から持ってきたテントで寝たのが15泊。
テント泊では結露がひどくて、朝方になるとテントそのものが凍っているのが日常茶飯事だった。
バックパックも埃にまみれ、ずいぶんとくたびれてしまった。
終いにはカトマンズに着いたときショルダーベルトが切れて使い物にならなくなった。
愛用していたガソリンコンロも、トラックで移動中、その振動でごとくが曲がってしまった。
これらの道具を見る度に、西チベットをヒッチハイクで旅することの過酷さを思わずにはいられない。

その他によく頑張ってくれたのがカメラだった。
ファインダーを覗くと微細な埃がたくさん付いている。
付いているというよりは積もっていると言った方がいいかもしれない。
レンズ交換をするたびにそれがミラーとスクリーンの部分に侵入してきたのだろう。

また三脚を立てて撮影している時に突風が吹いて、カメラごと倒れてしまったこともある。
それでも故障することなく、私の見たものを、大して出来のいいわけでわない私の脳みその代わりに、フィルムに記憶してくれた。
バックパックはここで買い替えなければならないし、テントやコンロは西チベットの旅が終わり、その役目を終えることになるが、カメラだけは私の旅が続くかぎり手放すことは有り得ない。
私にとってカメラのない旅は考えられないものになっている。

もともと私がカメラと出会ったのは遅い。
22歳のとき最初の旅に出たのとき、初めてカメラというものを持った。
ヨドバシカメラに行き、店員に相談して、一番安い一眼レフを購入したのが最初のカメラである。
それを持って東南アジアをまわった。
旅の途中で一度現像したが、途中で故障していたらしく、撮ったフィルムの半分以上が真っ黒で、その時の落胆は忘れられない。
撮れていた写真も、一眼レフを持っただけでいい写真が撮れると勘違いしていた私にとって、期待外れのつまらないものしか写っていなかった。
旅はその後も3ヶ月ほど続いたが、もう一眼レフは持ち歩かなかった。
フィルムを詰め替えられる写るんですみたいなカメラで、数本、記念写真を撮っただけだった。

再び一眼レフを持ったのが、その旅から一年後の卒業旅行でラオスとタイに行ったときだった。
ラオスからタイに下ってきた私は、ナコーン・ラチャーシマーという街でバンコク行きの列車を5時間ほどまつはめになった。
そのときどういう訳かは忘れたが、街へは行かず駅のホームで時間をつぶしていた。

日も暮れかかり、ぼんやりと空を眺めていると、少しずつ空が赤く染まり、みるみる
うちに今まで生きてきて、初めて見る赤く美しい夕焼けになった。
私はバックパックから安っぽい三脚を取り出し、カメラを取り付け、ただ目の前の綺麗な赤をフィルムに収めたいと思いでシャッターを切った。
レリーズなんてものを持っていなかったので、セルフタイマーでぶれないようにスローシャッターを切った。
正直に言えば、始めはその写真も期待していなかった。
期待していたものが期待通りに写っていたことなど、今まで一度もなかった。
しかし日本で現像して見ると、これが自分の撮った写真かと思うほどの出来だった。

自分の見た真っ赤な空と、暗く沈んだプラットホームがしっかりと写っていた。

全てはその写真から始まったと思う。
その後から写真にのめり込み、カメラ雑誌や「一眼レフの使い方」みたいな本を読みあさり、どんなに短い旅行にも一眼レフを持って行くようになった。
今ではバックパックの大半が三脚やフィルター、フィルムなどのカメラ用品で占められている。

今のカメラはある人が、ある事情でこの旅のために、私に購入してくれたものである。
さらにその人の父親は横浜では著名な写真家で、私がその人の家を訪れる度に写真の話をしてくれた。
その人の父親は弟子は取らないが、私の写真を見てくれたこともあり、私は密かに師と思っている。
今のカメラには私だけでなく、いろんな人の思いが込められている。
そんな気がしてならない。
そしてあの時の、目の前の感動したものをただフィルムに収めたいという気持ちだけは、カメラが変わった今も、持って歩いていきたい。

鉄郎の軌跡
鉄郎 初めての海外旅行は22歳の時。大学を休学し半年間アジアをまわった。その時以来、バックパックを背負う旅の虜になる。2002年5月から、1年かけてアフリカの喜望峰を目指す。

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