ジェノサイド

有史以来、いやその以前からであろうが、人間は時折、信じられないような虐殺というものやってきた。
ナチスドイツがそうであり、記憶に新しいところでは、カンボジアのポルポトによるそれである。

そしてこのルワンダでもそれが起きたのである。
しかも歴史の教科書を開くと載っている昔の話ではなく、まさにこの現代に起きた。

1994年の春から約100日間で80万人が殺されたと言われている。
それは国民の10人に1人という驚くべき数字である。
それはユダヤ人虐殺の3倍にあたるらしい。
もちろん、数が少なければいいというわけではないが、その大規模な虐殺が、メディアの発達した現代で起きたことに、驚きを感じる。

そのきっかけとなったのは、フツ族である、ルワンダ大統領ハビャリマナを乗せた飛行機が、何者かに撃墜された。
そしてフツ族がツチ族を大量に虐殺するという事態が起きたのである。
もちろん、そのような大量虐殺には何かしらの背景がないと起こりえない。
それは、ツチ族とフツ族の民族的な対立といえるが、そう簡単なものではないらしい。
対立というよりは、民族差別的なものがあったと聞いたことがある。

私はルワンダからウガンダへと南下し、その虐殺記念館というところに足を運んだ。

その場所は首都キガリから半日で行ける、緑の多い山間にある。
地名でいえばキコンゴロという街の近くのムランビという場所だ。

記念館はかつて、学校の教室だったという。
一階建ての建物が何棟も並び、その全てに死体が安置されている。
係員に案内され教室に入ると、木製の台の上に死体がいくつも無造作に並べられている。
衣類はほとんど身につけてなく、乾燥して骨と皮だけになり、そして白く変色している。
匂いは鼻をつく。
その匂いを説明はできないが、とても嫌な匂いだ。
人間は腐ると悪臭を放つというが、それと同じものかもしれない。
今は、死体は乾燥しているが、以前はもっとひどい匂いがしたのだろう。

死体は老人から女性、幼児まである。
虐殺とはそういうものだろう。
ここだけで27,000の死体があると説明された。
私は記録のために何枚か写真をとった。

係員の案内されるままに二つか三つの教室を見学したが、そこで終わりにした。
とても全ての教室見てまわるほどの気力はない。
そして施設維持のために、いくらかのお金を寄付して、そこを出ることにした。

約100日間で80万という数字は、単純に計算して1日に8000人が殺されたことになる。
その数だけを考えると、まさに手当たり次第ということになる。
もちろん現在でもその民族的な対立は解決したわけではなく、難民の問題などもある。

マスコミの報道は、事件がおきると、一時的には取り上げるが、その冷め方も早い。

イラクの報道などはアメリカが大きく関わっているため、世界的にも注目されている。
しかし、継続的な報道がなされないだけで、紛争というのは、このアフリカにはあきれるくらい存在する。

鉄郎の軌跡
鉄郎 初めての海外旅行は22歳の時。大学を休学し半年間アジアをまわった。その時以来、バックパックを背負う旅の虜になる。2002年5月から、1年かけてアフリカの喜望峰を目指す。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください