サバンナの風

私はエチオピアのコンソからさらに西へと行き、いくつかの民族を尋ねた。
そのルートは人と荷物を満載してトラックを乗り継ぎ、めずらしい民族を見ることができた。
彼らのほとんどは、男女とも上半身裸である。
そして、貝やビーズなどの装飾品を身につけている。
なかでも珍しいのは、ムルシ族という民族で、彼らは唇に直径10センチくらいの円形の板をはめている。
それをはめているのは女性だけであり、それをはめると婚期になったという意味らしい。
彼らを見たときはさすがに驚いた。
その板をはずして、そのぶらんとさがった唇の穴に、サービスで手を突っ込んでくれたときには、正直目を疑った。
痛くないのだろうか。
そんな素朴な疑問をもつが、小さい頃から穴を少しずつ大きくしているので、痛くはないらしい。
中国の纏足や、タイの首長族も、小さいころからそうやって体を変形させていく。
小さい頃からやれば、案外できるものかもしれない。

残念ながら彼らのことをそれ以上文章で説明するのは難しい。
写真であればできるかもしれない。
エジプトのピラミッドやスフィンクスを見たときにも思ったが、純粋に驚いたした経験というのは、その感想が一言で終わってしまう。
何々を見て、すごいと思った・・・みたいな平坦な文章になってしまう。
それは単に私の力不足だからであろうことは明白であるが、そうなってしまう。
逆に体験や経験なら書くことはできる。
だから私の書くものはいつもそういう主題が多い。
とにかく話を前に進めたいと思う。

私は再びコンソに戻り、またトラックを乗り継いで南下を始めた。
地名を挙げると、コンソ、ヤベロ、モヤレを通り、そしてやっとケニアのマルサビットへと入った。
そこからさらにトラックを乗り継いで、一気にナイロビへの中継地である、イシオロを目指したが、そのトラックが曲者だった。

マルサビットは、エチオピアとの国境の街である。
そして、国境特有の活気があり、物もよく集まるらしく、小さい街ではあるが、活気があった。
エチオピアに比べれば物が豊富だということが、街の雑貨屋に行けばすぐに感じることができた。

そのマルサビットからイシオロまでは2日かかると聞いていた。
前日にトラックのドライバーを捕まえ、値段交渉を済ませ、翌朝指定された場所へ行くとすでにトラックは来ていた。
荷台にはまだ何もつまれていない。
初日は空で走り、二日目にヤギを乗せると言っていた。

荷台の幌は、屋根の骨組みの端に、きれいにたたまれていた。
そして、荷台にはスペアのタイアが1本、ごろんと転がっていただけだ。
ドライバーのほかに、数人のケニア人も乗る予定らしかった。
しかし、そんななかに、ちょっと身なりのいい中年男が、何かドライバーと話している。
内容はわからないが、あまり楽しい話ではなさそうだ。
そしてそのドライバーと中年男が荷台に乗り込んできた。
中年男は荷台の中を見渡し、たたまれた幌のなかに手を突っ込んで、なにかをひっぱりだした。
その手にあったのは、ビニールに入った衣服であった。
さらにスペアタイアのチューブをひっぱりだし、そこからも同じものを見つけ出した。

彼はどこかで見たことがあると思ったが、税関の職員だった。
昨日エチオピアからケニアに入国したとき、そこにイミグレにいた男だ。
つまりは密輸の抜き打ち検査だ。
他の男たちがエチオピアから運んできた物資を、トラックでイシオロに輸送すると踏んで検査に来ていたのだ。
まったくプロの目というのはすごいものだ。

しかしまたそうやって、違法ではあるが少しでも生活ために金をかせごうとする輩を私はたくましいと思う。
トラックは一度イミグレまで行き、全て検査され、そしてドライバーは税金を払わされたようだ。
税関の職員の仕事もなれたもので、ものの10分で終わってしまった。
ドライバーは大して落込んだ様子もなく、今回は税金がかかってしまったが、今度はうまくやってやるくらいの感じだった。
密輸なんて書くと大げさに聞こえるが、税金を払わずに商品を運ぶのは、いつものことで、今回はたまたま税金を取られてしまったというところだろう。

そんなことをしていて、出発は大幅におくれたが、私として急ぐ旅でもないので、問題ない。
逆に庶民の生活の知恵というのか、生活向上の努力というのか、とにかくちょっと面白いものを見ることだできた。

そして私は、空の荷台に乗って、やっと出発した。
他のケニア人は何故か、トラックの荷台に幌をかける骨組みに器用に座っている。
その理由はすぐにわかった。
走り始めて30分もすると私は、全身茶色になり、埃にまみれ、ひどいことになった。
かるく服をたたいだけで、砂が舞うのが見える。
しかし荷台の屋根の骨組みに乗れば、かなり高いところになるので、車輪が巻き上げる砂埃がかからないのだ。
エチオピアでは、トラックの荷台にのっても、そこまでひどくなることはなかった。

しかしその埃にまみれると、いよいよ乾燥したサバンナにやってきたという気になる。

そして私もケニア人と同じように、トラックの屋根の骨組みに乗ってはみたものの、凸凹道の振動がもろに伝わり、全身の筋肉をフルに活用して骨組みにしがみつくはめになった。
それは体力的に30分ともたず、その日は砂埃を選んだ。
ケニア人は慣れているもので、器用にバランスをとっている。
骨組みのバーとバーを布で結んで、そこに体を沈めて居眠りする人もいる。
いってみればハンモックみたいな要領だ。

そして1日目は夕方まで走り、安宿で1泊し、朝になると、トラックの荷台には、ヤギが満載していた。
40頭ほどのヤギのおかげで、荷台はもう足の踏み場もないほどだ。
私はといえば、やはり屋根のフレームにしがみついて、何時間移動する自信はないので、ヤギとの一緒に荷台にいたいとドライバーに申し出たが、断られた。
ヤギが興奮するらしい。
しかたなく、屋根にのぼってみる。
トラック後方は振動が激しいので、前のほうのスペースをくれた。
とはいえ、やはり振動の度に全身の力を込め、骨組みにしがみついていたが、1時間もすると慣れてきた。
振動がきても力を抜いたまま揺れに任せると、不思議と自然にバランスがとれて、案外平気だ。
最初は怖かったが、落ちることはまずなさそうだ。

それにしても疲れるのは人間だけではないようだ。
ヤギも振動のなかの移動で疲れるらしく、たまにぐったりと倒れこむヤギもいる。
そうすると荷台に一人だけのっている、係りのおやじが、やぎの耳を引っ張って、強引に起こすのだ。
荷台には余分なスペースがないから、ヤギが倒れこむと、他のヤギに踏まれてしまい、商品としての価値が下がるらしい。
荷台に一人だけのっているおやじは、それを防ぐのが役目なのだ。

トラックは国立公園の敷地内の道路を走っていたので、キリンでも通らないものかと期待したが、残念ながらそれはなかった。
しかし、装飾品を身につけ、槍を持ち、上半身裸で歩く民族を、よく追い越した。
そして家畜のラクダもいた。

エチオピアと違い、この辺は一面サバンナが広がっている。
なにより、2mほどの高いところから見るそれは、地面に立って見るそれよりも、より広大に見える。
そこに土色の道が地平線に向かって一直線に伸びている。
まるでそれは終わりがなくどこまでも続いているようにさえ思えている。
そして私もどこまでも行けるのではないかと。
そんなとき、この壮大な景色が自分のものになったような気がする。
それはもちろん気がするだけなのだが、そんな気になれる移動というものが私は好きだ。

旅は街から街への移動の繰り返しだ。
移動して飯を食い、宿を探し、また移動する。
そしてその移動は、苦しければ苦しいほど後になると、なんだか甘美な情景とともに心に蘇ってくる。

鉄郎の軌跡
鉄郎 初めての海外旅行は22歳の時。大学を休学し半年間アジアをまわった。その時以来、バックパックを背負う旅の虜になる。2002年5月から、1年かけてアフリカの喜望峰を目指す。

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