五か国語を話す少女

サイゴンのマーケットに五か国語を話す少女がいた。
道ゆく観光客に色んな言葉で話しかけ、お店に案内し、マージンをもらっているのだ。
まだ10才ぐらいの女の子だよ。
フランス人のおばちゃんたちにフランス語で声をかけていて、ぼくを見つけると、すぐさまぼくの方に寄ってきて日本語で声をかけてきたからびっくりした。
しかもけっこう流暢な日本語で、普通にぼくと会話ができる。
フランス人のおばちゃんたちとも普通に会話してたみたいだから、フランス語も相当話せるみたいだ。

「お兄さん、おみやげあるよ、買ってく? 何探してるの?」

10才のくせに、お兄さん、なんて言われるとホステスさんか何かみたいでちょっとおかしいんだが、あんまりその子の日本語が年令に似合わずにうまいものだから釣られて話し込んでしまった。
そのときぼくは刺しゅうの入ったベトナムの素敵なTシャツを探していたんだ。
だからそれに適したお店を彼女に聞いてみた。
そういったお店はマーケットの中にたくさんあるので、どこから手をつけていいのか分からないのだ。
彼女は、こっちこっち、とぼくのシャツの裾を引っ張ってお店の前まで連れていくと、そこのおばちゃんとベトナム語で何か会話をし、そして差し出された品物をおばちゃんから受け取ってぼくに見せてきた。

「これは、どう? こういうのでしょ?」

見るとそれは緑のTシャツに金色の糸ででかでかと、ベトナム、と書いてあり、ちょっと派手だったし、何よりも機械縫いの刺しゅうだったため、

「違うんだ、もっとこう地味な感じで、そう、手縫いのものが欲しいんだ、手縫い、分かる? ハンド・ソーイング」

と聞き返した。
ベトナムでは実は、手縫いの素敵なTシャツがとても安く売られている。
ぼくは以前まだ旅に出る前友達に、その手縫いのTシャツを見せられ、さんざん自慢され、そしてそれをとてもうらやましく思っていたため、いつかベトナムに行ったら死ぬ程買い込んでやろう、と何年もの間ひそかに心に決めていたのだった。
だから、手縫いのものでないとだめだったのだ。

彼女は少し考えると、よし、分かった、と言ってまたぼくの服を引っ張って、スタスタと駆け始めた。
どこから来たのか、いつの間にか彼女の弟とおぼしき少年も一緒になって駆けている。
そして彼女たちが連れていってくれたお店には、成る程ぼくの追い求めていたTシャツがたくさん売られていた。
ぼくが死ぬ程買い込んだのは言うまでもない。

その後彼女たちは市場の中を色々案内してくれた。
実にたくさんの色んな種類のお店がそこにはあって、一日いても飽きないぐらい。
甘味どころもあって、ベトナムのお菓子がとてもおいしそうに売られていたので、お礼におごってあげるから食べていこうよ、といったら彼女はその申し出を断って、自分でお金を払った。
日本のあんみつみたいなさっぱりと甘く冷たいそのお菓子を食べながら、ぼくは彼女に聞いてみた。

「一体何か国語ぐらい喋れるの?」

彼女はゆびおり数え始めて、五か国語ぐらいかな、と言った。
日本語と、フランス語と、英語と、ドイツ語と、あとベトナム語。スペイン語をいま勉強中という。
あながち嘘ではないみたい。さっきフランス語をぺらぺら喋っていたのは見ているし。
もし本当だとしたら、すごいよな。
ぼくは感心してしまったのだ。
こんな小さな子でもこんなに話せるようになるんだ。
自分は英語すらままならないのに。

きっと言葉を話せたら便利だからだろうな。
お金が稼ぎやすいから。
だから必死で覚えるんだ。
こんな小さなベトナムの女の子が日本語をぺらぺら喋っている。
それだけでも十分驚きだ。
きっと隣にいる小さな弟も、姉さんを見習って、これから覚えていくんだろう。
人間やろうと思えば何だってできるものなんだな。
なんか妙なふうに人間の持つ底力のようなものに感心してしまった。

きっと高いお金払って英会話なんて行く必要なんてないんだ。
何かそういうのがすごくばからしく思えてきた。
あんな小さな子でもペラペラ話せるようになるんだから。
お金なんて使わなくたって、きっと英語ぐらいペラペラになれるんだ。
要はやる気だよな。
必要性というか。真剣さというか。
お金つぎ込んだってだめなものはだめだよね。
何か、何でもお金払って簡単に済まそうとしている自分がとても愚かに思えました。
いつから物事に真剣に取り組むという姿勢を忘れてしまったんだろう。
お金なんてなくたって、英語ぐらいきっと話せるようになるもんなんだ。
お金なんてちょっとあればいいんだよな。本当は。
そんなにたくさんいらないんだよな。きっと。
豊かさをはき違えて、もっと大切なことを忘れてしまっている。
そんなことに気付いてしまった、さとうさんでしたとさ。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

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