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STOP-OVER

- リアルタイム旅行記、ユーラシアを横断しアフリカ最南端を目指す -

ライター:鉄郎 初めての海外旅行は22歳の時。大学を休学し半年間アジアをまわった。その時以来、バックパックを背負う旅の虜になる。2002年5月から、1年かけてアフリカの喜望峰を目指す。

鉄郎の行路

27Feb05

途中下車

私の旅は、そもそも途中下車だった。 その意味は文字通り、列車などを目的地まで行かず途中で降りるというものだ。 自分の将来がぼんやりと見え始めた私が、その人生を一度降りるという意味でこの『STOP-OVER(途中下車)』というタイトルをつけた。 もともと初めて途中下車という言葉の知ったのは高校生のときである。 もちろん、その意味はもっと以前から知っていたが、ある種の思い入れを持ったときが高校生のときだったというべきであろうか。 それは私の好きなある作家の、自身の若い頃を綴ったエッセイの一つに『途中下車』というタイトルのものがあった。 今となって記憶している内容も、曖昧だが、あえて調べることは...

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10Aug04

ラスト・バス

バスが出発するまでは、特にやることがなかった。 街の中心へと行ってはみたが、日曜日でほとんど店が閉まっている。 食べ物を求め、スーパーへ行ったが、午後1時までということで、すでに閉店していた。 日曜日は働かないというのが、この国のスタイルらしい。 仕方なくファーストフード店へ行き、ハンバーガーとファンタオレンジを買うと、残りのナミビアドルはすっかりなくなっていた。 バスは街の中心部から、午後5時に出発した。 2階建ての豪華バスがこの国の経済発展を物語っているようだった。 ここではこれが普通だ。 香港を出発して以来、ひたすら南アフリカの喜望峰を目指して移動を繰り返してきた。 列車やバス、船で...

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04Aug04

公然たる闇両替

バスがジンバブエの首都であるハラレに到着したのは、午後7時を過ぎていた。 辺りはすでに暗い。 そこから安宿までは歩けば20分くらいで行ける距離だった。 しかし、その区間をタクシーで行くことにした。 別に荷物が重いからではない。 バックパックが重いのはいつものことだ。 ハラレは治安が悪い。 アフリカのなかでも、南アフリカのヨハネスブルクは別格として、ケニアのナイロビと同じか、それ以上に悪いとされている。 だから、ハラレのバスターミナルからバックパックを背負って歩くことは、 『私はアメリカドルをたくさん持っている旅行者ですよ』 と宣伝して歩くようなものなのだ。 まして、日も暮れている。 私はタク...

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20Jul04

その向こう側へ

もうだいぶ長い間私は旅をしている。 香港から旅を始めたのは2002年の5月。 その14ヶ月後、私はアフリカにいた。 場所はマラウイというアフリカ中部の国のムカタベイという場所だ。 タンザニアからタンザニア・ザンビア鉄道に乗り、それを途中で降りて、バスでマラウイにやってきたのだ。 マラウイという国は、マラウイ湖という湖を取り囲むようにある国だ。 そのマラウイ湖ではスキューバ・ダイビングが盛んだった。 しかし、マラウイ湖には吸血住虫というのがいる。 それは蚊のように人間の血を吸い、そして体内に入るのか、あるいはマラリアのように卵を産み付けるのかはわからないが、内蔵をやられたりするらしい。 しか...

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13Jul04

世界で一番美しい海

世界で一番美しい海とはどこであろうか。 そんなものは個人的な主観によって違うなんてことはわかっている。 それは実に曖昧で、個人的な趣味というのもあるし、さらにそこでの体験が楽しかったとすれば、おのずとそこの海の印象もまた良くなるものだ。 私的な意見を言わせてもらえば、今まで訪れた場所のなかでは、沖縄の石垣島や西表島の海がとても印象に残っている。 こんなにも、深い青と、エメラルドグリーンの鮮やかな海が存在するものなのかと驚いた。 そしてここ、タンザニアにも美しい海が存在する。 ある旅行者は、 『あれほどきれいな海岸線は見たことがない』 といっていた。 それはザンジバル島にある。 ザンジバルは...

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10Jul04

チェンジ・マネー・トリック

私はルワンダからタンザニアに入り、キリマンジャロの麓の街であるモシに立ち寄り、ダルエスサラームまで駒を進めた。 キリマンジャロは標高5895mのアフリカ大陸最高峰である。 以前はそこに登ってみたいと思っていたが、はやはりキリマンジャロに登ることはなかった。 ネパールあたりのトレッキングとちがって、キリマンジャロの登頂にはけっこうな金がかかる。 入園料とガイド料がかかり、3泊4日で400ドルくらいは取られる。 しかも一人での登山は禁止されている。 かならずガイドを雇わなければならない。 いや、別に金がかかるのはいい。 それだけの魅力があれば、お金は惜しまないことにしている。 登った人に聞くと、そ...

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04Jul04

ジェノサイド

有史以来、いやその以前からであろうが、人間は時折、信じられないような虐殺というものやってきた。 ナチスドイツがそうであり、記憶に新しいところでは、カンボジアのポルポトによるそれである。 そしてこのルワンダでもそれが起きたのである。 しかも歴史の教科書を開くと載っている昔の話ではなく、まさにこの現代に起きた。 1994年の春から約100日間で80万人が殺されたと言われている。 それは国民の10人に1人という驚くべき数字である。 それはユダヤ人虐殺の3倍にあたるらしい。 もちろん、数が少なければいいというわけではないが、その大規模な虐殺が、メディアの発達した現代で起きたことに、驚きを感じる。...

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01Jul04

森の人

このエッセイで何度か書いたことがあるが、私の旅にはカメラが欠かせない。 基本的にはいつもカメラを持ち歩いている。 旅のルートを決めるのにも、面白い写真が撮れそうだからその場所へ行く、ということもあるし、逆に写真は禁止されているから行かなかったという場所さえある。 他の人から見れば理解できない部分もあるだろうが、私にはそういうところがある。 さて、ケニアの後、喜望峰までのメインルートはそのまま真っ直ぐに南下しタンザニアと入るルートである。 しかし私はケニアの西、ウガンダへと行くことにした。 その理由は写真である。 コンゴ、ウガンダ周辺にはピグミー族が暮らしているらしい。 コンゴには治安の問題...

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17Jun04

海を渡った中国人

世界中を見渡すと、一つの国に一つの民族という例は、非常に少ない。 そういう国は、他にも存在するのだろうが、私が今まで訪れた国の全てが多民族国家だ。 もちろん日本だって、アイヌがいるわけだし、厳密にいうとそういうわけではないが、世界単位で考えるとやはり単一民族国家だ。 それは世界では稀である。 そして、日本人というのは日本にしかいない。 もちろん海外旅行や海外赴任などで行く人は多いだろう。 あるいは、渡米して国籍を取ったり、ヨーロッパに渡り活躍し、永住するという例は多いと思う。 私が言っているのはそうではない。 もっと大きな単位で、新天地を求め海外に渡り、移住して商売をし、コミュニティをつくり...

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12Jun04

ウガンダ日本大使館職員募集

私は今まで海外で働きたいと思ったことはない。 まず語学が苦手だからかもしれない。 英語はもちろん得意ではない。 他の言語に至っては全くだめだ。 学生のとき、第二外国語に中国語を選択していたが、実際に中国に行ってみて、私はニイハオとシェイシェイ以外の中国語を知らなかったことは、改めて学生時代の、私の怠慢を自分自身で思い知らされた。 そういう理由以外にも、私はやはり日本で働きたいという気持ちが強い。 以前は、国際協力事業団の仕事や、海外青年協力隊に憧れていた時期もあったが、語学面でとうて務まりそうにない。 そんな私ではあるが、一度だけ心が動いたことがあった。 それはケニアの日本大使館に行ったとき...

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10Jun04

ソマリアから来た男

『まったく、無駄足だった』 恐らく私はその時そんな事を呟いていたと思う 私はケニアのイシオロというところで、マタトゥを待っていた。 マタトゥというのは、ケニアの乗合バスである。 車体はトヨタのハイエースが圧倒的に多い。 日本から果てしなく遠いこのアフリカで、よくトヨタが使われているものだなと、驚きをかくせない。 日本の技術というのは、やはり世界に誇れるものがある。 特にトヨタは他の日本車と比べても長持ちすると人気だった。 もちろんここらで走っているのは、走行距離も10万キロを超え、10年以上は軽く走っている代物だ。 だから何より耐久性が重視される。 そしてさらに驚きなのが、そのハイエースによ...

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04Jun04

サバンナの風

私はエチオピアのコンソからさらに西へと行き、いくつかの民族を尋ねた。 そのルートは人と荷物を満載してトラックを乗り継ぎ、めずらしい民族を見ることができた。 彼らのほとんどは、男女とも上半身裸である。 そして、貝やビーズなどの装飾品を身につけている。 なかでも珍しいのは、ムルシ族という民族で、彼らは唇に直径10センチくらいの円形の板をはめている。 それをはめているのは女性だけであり、それをはめると婚期になったという意味らしい。 彼らを見たときはさすがに驚いた。 その板をはずして、そのぶらんとさがった唇の穴に、サービスで手を突っ込んでくれたときには、正直目を疑った。 痛くないのだろうか。 そんな素...

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25May04

コンソの少年

視界に入る景色は緑に満ちていた。 太陽の光が山々に横たわる木々に反射してまぶしいくらいだ。 頬に当たる風もまた心地いい。 こういうなんでもないような時間が、旅をしているなかで至福の時である。 私は久しぶりにトラックで移動をしていた。 それはチベット以来のことだ。 エチオピアの首都アジスアベベからバスで南下し、アルバミンチまで来たが、そこから先は雨季のためにバスの通行ができなくなっていた。 かといって全ての交通が遮断されたわけではなく、地元の住民はイスズのトラックの荷台に乗って移動をしている。 要は、雨季によって道が悪くなり、バスでは行けないが、トラックなら通れるというわけだ。 私もそのトラッ...

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07May04

ヨーグルトにあたる

いつかはそういう時がくるとは思っていたが、実際になってみると、一体なにが原因で、よりによってこんなところでなんて思ってしまう。 私はこの旅が始まった以来、大きく体調を崩した。 場所はエチオピアのゴンダールという場所だった。 スーダンは別に見たいものもなく、南部では内戦をやっていた。 おまけに日中は40度を越す暑さで、ひたすら水とジュースを飲んでやり過ごした。 ハルツームで2泊した私は、暑さから逃れるように、すぐにエチオピアに向かった。 バスを乗り継いで国境を通過し、最初の大きな街が、このゴンダールだ。 村と呼べるほど小さくはないが、いかにも地方の街という感じでこじんまりしている。 とはい...

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06May03

ジャンピングバス2

イミグレーションを出て、乗合トラックで街まで行く。 そこから首都のハルツームまで列車が出ている。 私の目的地もそこだ。 列車が出るのは、次の日である。 この列車が相当つらいという話であった。 炎天下の中を列車は走るが、信じられないほど車内は暑くなる。 当然冷房はない。 1等車両でも冷房はなく、しかもベッドもないという話だ。 かといって、窓を開けると、砂漠の中を走っているので、砂が入ってきてそれもできないらしい。 そして砂にレールが埋もれ脱線も日常茶飯事。 その度に、どうやるのかは知らないが、職員が脱線をなおすらしい。 ハルツームまでうまく行って2泊3日。 遅いと3泊4日になる。 ここもムスリム...

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05May03

ジャンピングバス1

アフリカは魅力的だ。 しかし同時につらい。 アフリカに行ったことのある人は誰もが言う。 何がつらいのか。 食事か、移動か、あるいは現地の人との交渉か、マラリアか。 まあ、そのどれもあてはまるだろう。 エジプトのカイロから、ルクソール、アスワンと南下し、私はスーダンに入った。 アフリカの魅力はその後の国々でたっぷりと味わうことになるであろうが、とりあえずはそのつらい部分をさっそく体験しなければならなくなった。 エジプトのアスワンハイダムから国際線のフェリーに乗って、スーダンの玄関口であるワディハルファという街に行く。 国際線のフェリーといってもいたって小さい。 神戸から上海まで出ている鑑真号...

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27Apr03

エジプトで騙される

誰が言い出したのかはわからないが、バックパッカーの間で語られる「3大バカ民族」というのがある。 あくまで、噂話の域を出ないものであり、あまり上品な言い方ではないし、言われた方はいい迷惑どころか激怒しそうなものだ。 しかし、平たく言えばそれらの民族の国は、旅行の行き先としては人気があっても、旅をする上ではトラブルも多いということだろう。 そしてトラブルに巻き込まれ、しまいには、彼らに対する反感がつのり 『奴らバカなんですよ』 ということになる。 その3大バカ民族は中国人、インド人、そして私のいるエジプト人である。 もちろん、私もそう思うかと言われれば、そんなことはないと思うが、私自身の旅を振り...

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17Apr03

伝説のゲストハウス

ダハブからの乗合ワゴンは、カイロ市内の地下鉄の前で停まり、私はそこで降ろされた。 朝方だったので、通勤や通学の人たちで地下鉄は込み合っている。 そこが一体カイロのどのあたりなのかよくわからなかったが、私は地下鉄に乗り、人に尋ねながら、ナセル駅へまでたどりついた。 目的の通称サファリビルは駅からすぐだと聞いていた。 そこのなかに私の目指すゲストハウスがある。 しかし、人に聞いても誰もわからず、地図と照らし合わせて歩いても、それらしいものは見当たらない。 ようやくそれは市場の前にあると教えられ、そこを歩いたが、やはりそれらしいものは見当たらない。 その通りを歩きながら、サファリビルはどこなんだろ...

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27Mar03

ダハブの休息

エジプトのカイロの東、シナイ半島にダハブという街がある。 比較的物価の安いそのビーチリゾートに特に興味があるわけではなかった。 ただ、なんとんとなく足を運んだ。 ヨルダンのアカバからフェリーで、紅海のアカバ湾を渡り、ヌエバに着く。 そこはもうエジプトだ。 そこから直接カイロに行くこともできたが、フェリーが一緒だった日本人が、ダハブに行くというので、私もなんとなくそこへ寄ることにした。 今までビーチリゾートの類に行ったことはない。 一人で行ったところで、まわりはカップルだらけだろうし、かといってドラマのような出会いがあるとも考えられず、きっと寂しい思いをするだけだという先入観があった。 タイ...

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23Mar03

そして戦争は始まった2

戦争が始まって二日後に、私はアンマンを出た。 ペトラという遺跡を見るためだ。 それはナバテア人という、アラビア半島からやって来た民族が、紀元前1世紀頃に造ったといわれる遺跡だ。 そして、伝説と化していたその遺跡が、世界に現れたのは、1812年に英国系スイス人の探検家ヨハン・ルートヴィヒ・ブルックハルトに発見されたためである。 映画「インディージョーンズ・最後の聖戦」のロケにも使われ、今ではすっかり有名になった。 そのペトラ遺跡を見学するために、基点となるのが、ワディー・ムーサという街である。 そこのバックパッカーの集まる、バレンタインホテルは、女主人がいることで有名だった。 「ターミネーター...

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