その頃、仕事は忙しかったが充実していた。 その仕事に何の不満もなかったわけではないが、 給料も人並みに貰え、生きがいとまではいかなくても、やりがいはあった。 お盆や正月には、10日ほどの休みもあり、その度にアジアへと出かけていった。 タイ、カンボジア、ベトナム、沖縄へも行った。 その短い旅は楽しいものだった。 しかし、短い旅はただ楽しいだけの思い出としかなら...
続きを読む "出発前夜" »
空港からのバスから見る香港の街は、 手塚治虫の描く未来都市のようだった。 巨大な高層ビルが、その高さを競うように乱立している。 その合間を縫ってバスは進んでいった。 旅の始まりは香港からだった。 香港を選んだのに、大した理由はない。 ここに大学時代の友人が仕事で赴任しているからだ。 私たちは香港の滞在中、彼のマンションでお世話になる。 私たちと書いたのは、私...
続きを読む "始動" »
私は待っていた。 霧が晴れるのをである。 もう1時間以上はなにもせず、ベンチに座って待っている。 疲労はもうとっくに限界を超え、そのだるさが心地よくさえ感じている。 ここは黄山の光明頂というところである。 山の上なので何もやることもない。 ただぼんやりと周りを見ているが、霧に中にいて何も見えない。 ここが標高1800メートルとは思えない。 見えるのは、ツアー...
続きを読む "黄山風景" »
北京の故宮博物院といえば、北京に行く旅行者の誰もが訪れる場所だろう。 映画ラストエンペラーの紫禁城と言った方がわかりやすいかもしれない。 ご多分に漏れず、私もそこに行った。 いかにも観光地という感じで、正直あまり興味はなかったが、 やはり行くことにした。 入り口の天安門には、毛沢東のでっかい肖像画が飾れられていた。 中国人はその目の前で記念撮影している。 平...
続きを読む "北京の出会い" »
彼と会ったのは、彼の職場でもある北京の国子監というところで、科挙の試験場の跡地である。 一般に開放され、観光地にもなっているそこの警備が彼の仕事である。 彼はもともとの顔が穏やかなのか、笑顔で私を迎えてくれて、握手を求めてきた。 彼の身長は180センチ以上あり、筋肉質で、その手も厚みがあり、力強かった。 その時間は仕事の休憩中ということで、制服は着ていなくて...
続きを読む "ボーダーライン" »
北京からモンゴルのウランバートルまでは、実に33時間かかった。 列車での長時間の移動は、それほどつらくはないが、33時間というのは初めての経験だった。 朝の7時に定刻どおり北京を出た列車はひたすら北へ向かった。 途中、夜の11時に国境に着き、まず出国審査で起こされた。 出国審査は列車に乗ったままやってくれるので、乗客のとってはありがたい。 出国審査の後、中国...
続きを読む "ウランバートルの眠れない夜" »
そこまでの道のりは、文字どおり険しかった。 ウランバートルからのバスは10人乗りのワゴン車で、そこに13人くらいを押し込み走り出す。 老人などは助手席でゆったりと座れるが、私を含めそれ以外の人は、狭い座席に肩と肩、膝と膝を寄せ合って、身体を斜めにしないとシートに座れないくらいのスペースしかない。 おまけに、その膝の上を子どもらが遊びまわる。 子どもらにとって...
続きを読む "草原のホーミー" »
ウランバートルから北京へと引き返した私は、天津から神戸行きのフェリーに乗った。 友人の結婚式に出席するためである。 最初、結婚式に出席するかどうか迷ったが、今のところやはり日本が帰るべき場所なので、日本にいる友人を大切にしたかったのだ。 帰国に船を使ったことには大した理由はない。 単に、飛行機が苦手というのもあるが、「香港から南アフリカの喜望峰まで、陸路と海...
続きを読む "浦江飯店" »
上海では時折しか降らなかった雨も、陽朔、昆明と南下するにつれ、本格的な雨季を感じさせるものになってきた。 もともと雨季は嫌いではなかった。 東南アジアの雨季は通り雨のようなスコールのあと、ぎらっとした日差しが降り注ぎ、それが木々に溜まった水滴に反射する光景が好きだった。 しかし昆明の雨季は違った。 一日中雲が出ていて、雨が降ったり止んだりする。 Hさんと会っ...
続きを読む "雲南の雨" »
旅でこんなにも急いだことはない。 昆明からラサまでの陸路を、わずか1週間かけて急いだ。 その間、宿に泊まったのはわずか2泊である。 あとは、夜中も移動を続けた。 急いだ理由は、8月8日にラサのデプン寺というところで、大タンカ(仏画)の御開帳があると聞いたからである。 せっかくラサに行くのなら、1年に1回のそれを見てみたいと思った。 そして、ラサまでの道中には...
続きを読む "ラサへ・・・" »
ゲストハウスから歩いて5分のところに寺がある。 ジョカン寺というチベタンの信仰を集めている寺で、私はその寺に何回も通った。 通ったといっても、寺の内部に入ったのは1回のみで、私が通ったのはその寺の周りである。 ラサに着いたのは、もう深夜の1時をまわったくらいで、意外にもメインの通りには街灯が立ち並び、タクシーが何台も走り、街のつくりも他の中国のそれと大して変...
続きを読む "ジョカン巡り" »
世界の果てに来た。 私は目の前の風景に圧倒されながらそう感じてした。 もちろん日本が真中に描かれている世界地図を引っ張り出してきて、その端っこ来たわけではない。 まして地球は丸いからそんな場所は世界中を探したってあるわけがない。 しかし私は本当にここが世界のはてなのではないかと本気で思った。 そう思わせる風景だった。 目の前の景色は完璧なまでに乾いていた。 ...
続きを読む "世界の果て" »
私はその聖山をこの眼で見て、その道を歩いたことを忘れることはない。 この長い旅の中でも、最も過酷でそして最も心の動いた場所になるだろう。 ここでの経験がこれから先の日本での生活で、自分を助けてくれる。 それは確信に近い。 日本での困難と、カイラスとは何の関係もないが、そんな気がしてならない。 巡礼者が五体投地をしている。 「タシデレ」と挨拶の言葉をかけ、カメ...
続きを読む "カイラス巡礼" »
今、カトマンズのゲストハウスのテラスで、コーヒーを飲みながらこれを書いている。 こんなにゆったりした気分になれたのはラサ以来だ。 ここはTシャツとショートパンツで、暑くもなく寒くもない。 夜風が心地よくて、それに身を任せていると、ほんの数日前まで西チベットの過酷な環境にいたことが信じられない。 西チベットは旅している間は、電気のあるところに泊まったことも少な...
続きを読む "写真機という道具" »
その人と再び旅の途中で会うことはないだろうし、こちらから連絡を入れて日本で会うこともないと思うが、彼は私に強烈な印象を残したことに間違いはない。 彼と会ったのは、カトマンズに着いてもう一週間もたったある日の夕食時だった。 物価が高くて、食べるもののバリエーションの少ない西チベットから来ると、カトマンズは天国だった。 宿は1USDと少し出せば清潔な部屋に泊まれ...
続きを読む "カトマンズの彼" »
カトマンズでは荷物を送ったり受け取ったりしてせいもあり、いつのまにか長居してしまった。 ゲストハウスの居心地がよかったせいもあるかもしれない。 中心街に近くて、それでいて静かで、スタッフの人柄もよかった。 スタッフの一人に部屋の掃除にきてくれたり、水を持ってきてくれたりしてくれた20代の男性がいた。 彼は英語が苦手であまりコミュニケーションを取れなかったが、...
続きを読む "ミスターバブル" »
およそ一般的な日本人が想像する、インドらしいインドとはどんなものだろう。 神秘、喧騒、混沌といったところか。 そのインドのなかでも最もインドらしいと言われている街がバナラシ。 東の玄関口カルカッタと、西の首都デリーのちょうど中間に位置するヒンズー教の聖地。 今、そのバナラシにいる。 街のいたるところに牛が歩いている。 時折、道の隅っこでゴミをあさる姿はどこか...
続きを読む "死から生へ" »
人は旅で変われるのか。 旅に出て、何かを掴んだつもりで、あるいは自分は変わったつもりで、日本に帰ったはいいが、その後の生活がうまくいかないバックパッカーは多い。 結局好きでもない仕事を続け、再び次の旅を考える。 そして日本での旅の資金を作る仕事と、海外への旅とを繰り返し、年齢だけを重ねて行く人も少なくない。 そうなふうに旅にはまって抜け出せない人がいる。 そ...
続きを読む "人は旅で変われるか" »
バラナシには怪しい日本語を話す輩はくさるほどいる。 もちろん彼らの全てとはいわないが、たいていは土産屋に連れていってマージンをもらうか、ガンジャやハシシを高めに売りつけ、その差額でもうけようとする。 しかし彼はそんな輩とは明らかに違った雰囲気を持っていた。 彼の完璧な日本語にも驚いたが、それ以上に驚いたのは彼が日本の文化や習慣も知っていたことだ。 私は彼を最...
続きを読む "バラナシの詐欺師" »
自分の歩いている前方に物乞いが座っている。 もう50歳を越えているように見えるが、おそらくもっと若いだろう。 左腕が折れていて、腕が皮膚だけでつながり、ぶらりとぶら下がった状態になっている。 彼はすでに私を見つけて、じっと見ている。 私が近づくと手を差し出してバクシーシ(施し)を求める。 私は決して目線を合わすことなく通りすぎる。 こんな事はインドに入ってか...
続きを読む "バクシーシのこころ" »
ラサを出てから、2日かけてラツェという街まではバスで行ったが、そこから西チベットは旅して、ネパールに抜けるまでの移動は、全てトラックのヒッチハイクだった。 数えてみると10台のトラックをヒッチしたことになる。 西チベットを、トラックをヒッチして移動することは、決して楽なものでなかったが、ヒッチでしかできないような体験も多かったし、出会えない風景も多かったよう...
続きを読む "ヒッチハイクの景色たち" »
旅というものは、いかに自分の行く地域についての情報をあらかじめ集めておくかで、その旅の内容も変わってくる。 情報がないと、闇両替でレートがわからずボラれてしまったり、たいして良くない高いゲストハウスに泊まってしまったり、見所を知らずに通り過ぎてしまったりする。 基本的には一冊のガイドブックも持っていないバックパッカーというのはいないだろう。 なかにはガイドブ...
続きを読む "パキスタンの噂" »
パキスタンの北部にフンザという場所がある。 世界最後の桃源郷と言われている、パキスタンの一大観光地だ。 私もそこにはいつか行ってみたいとは思っていたものの、今回はパスしようかと思っていた。 季節が悪かったからである。 私が行くとすれば、冬の真っ只中になる。 そこは春には杏の花が咲き、夏には数多くのフルーツが実り、秋には紅葉が美しい場所である。 しかし今は冬。...
続きを読む "風の谷のフンザ" »
パキスタンとイランの国境の街は荒野のなかにぽつんと存在していて、街と呼ぶにはあまりに小さく、人も少なかった。 そこで生活するというよりは、ただ国境があるから、そこを通る旅行者や商人が通過するだけの街というように映った。 私はどうやら街の外れでバスを降ろされたらしく、そこから人の道を聞き、国境まで30分ほど歩くはめになった。 道を聞くと言っても、視界を遮るよう...
続きを読む "イランの憂鬱その1" »
年が明けた。 といっても除夜の鐘が聞こえるわけでも、カウントダウンをしたわけでも、花火が上がったわけでもない。 ここイランでは西洋暦の新年を祝う習慣はない。 私はただ時計を見てそれを確認しただけだった。 あまりに普通すぎる2003年のスタートだった。 私は元旦から移動をした。 ここ、バムにいても、もうやることがなかったからだ。 私はケルマンという小さな街へ行...
続きを読む "イランの憂鬱その2" »
イランからトルコに入国した私は、トゥバヤズットとエルズルムにそれぞれ1泊しただけで、ほとんど何も見ることなく、イスタンブールへと急いだ。 その途中にも見たい場所はいくつかあった。 黒海も見たかったし、サフランボルの旧市街で写真も撮りたかった。 しかし私は、そんなことよりも、早くイスタンブールに着きたかった。 私はそこである人と会う約束があったからだ。 そのた...
続きを読む "再会のアジア終着駅" »
ギリシャへは船で入った。 セルチュクから、今まで来た道を少し戻るようにイズミールまで行き、そこでバスを乗り換えチェシメという港街まで行った。 初めて見るエーゲ海の水はエメラドグリーンだった。 きっと今が夏で、雲ひとつない空だったらもっと、気分も晴れただろう。 でも、空には青一つ見えなくて、ときおり青空が顔を覗かせた思った途端に雨が降っふったりする。 それでも...
続きを読む "彼女の答え" »
空港に来ている。 私は空港というものがあまり好きではない。 いや、そもそも飛行機という乗り物があまり好きにはなれない。 時間と空間を一気に飛び越えてしまうそれは、確かに便利で、私もかつて何度も利用したが、それに乗ると、世界の中で自分が何処にいるかということを、頭では理解できても、肌で実感することが難しい。 だからというわけでもないが、香港から喜望峰まで陸路で...
続きを読む "そして彼女は最後に微笑んだ" »
私の旅は迷路の中の行き止まりにぶつかってしまったみたいに、行き詰まっていた。 その行き詰まりは、婚約者を失ったという気持ちの問題もあるが、実際に行き詰まっていた。 それは一体どこからアフリカ大陸の第一歩を踏む出すかということである。 もともとギリシャからフェリーに乗り、エジプトへ渡る予定だった。 しかしエジプト行きのフェリーは存在しなかった。 それが冬季のた...
続きを読む "旅のルール" »
約一ヶ月ぶりに戻ってきたイスタンブールの街は、以前に増して寒さがこたえた。 毎日雪が降っていた。 といっても降っては止んで、それをを繰り返し、すぐに雨に変わる。 その雪は水分が多く、2、3センチしか積もらず、翌朝には凍っている。 そして昼間には溶け出して、地面はいつもぬかるんでいた。 街を歩けば、靴の中に水が染み込み、この上なく不快感を感じた。 別に、雪景色...
続きを読む "沈没の味" »
新しい旅が始まった。 香港からひたすら西を目指し、イタリアまで行ったが、ここから先は進路を南へと取ることになる。 ひたすら南下して、南アフリカの喜望峰を目指す。 この後は誰かと何処かで落ち合う約束もなく、予算的な制約はあっても時間の制約はない。 帰国もいつになっても構わない。 良くも悪くも、新しい旅であることは事実だ。 イスタンブールからのバスは、シリアとの...
続きを読む "旅がまわる" »
私は久しぶりに、好きになった街ができたと思った。 街そのものが魅力的だと感じた。 ホテルを出て、広場を抜け、地下道をくぐりとスークの入り口に出る。 スークとは市場の意味である。 しかし、いわゆる日本の市場というよりは、商店がずらりと並んでいる感じである。 食料品だけでなく、洋服や玩具屋、靴屋など、なんでも一通りそろっている。 そして天井はドームになっていて、...
続きを読む "ダマスカスの光と影1" »
事の始まりは、ウマイヤドモスクの前だった。 私がそこを歩いているときに、ある男二人組みに声を掛けられた。 『ウエルカム ジャパニーズ 腹は減ってないか?』 と、あまりに唐突に聞いてきた。 『今、食事したばかりだ』 と言うと、 『だったらチャーイを飲みに家にこないか』 と誘ってきた。 男の一人は30歳くらいの髭のおとこで、彼は英語ができなくて、ただいつもニコニ...
続きを読む "ダマスカスの光と影2" »
ヨルダン、アンマンにある、バックパッカーの有名宿、クリフホテルから5分ほど歩き、バスターミナル行きの乗合タクシーを捕まえ、それで5分ほど走ると、アブダリバスターミナルという所に着く。 そのバスターミナルの端にある、キングフセインボーダー行きの乗合タクシーの集まる場所へと行くと、すでに3、4人の客を乗せたタクシーが待っていた。 その3列シートの、かつては黒光り...
続きを読む "ノースタンプの国1" »
ラフィーリアというその病院は、思ったよりも清潔で近代的だった。 5階だてくらいの白い建物で、入り口には救急車が数台止まっている。 受け付けに行く途中には、何種類ものポスターが張ってあった。 そのほとんどが、銃をもったパレスチナの男たちだ。 その男たちは、イスラエルと戦って死んでいった者たちらしい。 彼等は西側諸国から見ればテロリストかもしれない。 しかし、こ...
続きを読む "ノースタンプの国2" »
その日、いつものように私は目を覚ました。 この時点では別にいつもと変わらない朝だ。 私のいる場所はヨルダンの首都アンマンにある、クリフホテルというところだった。 中東の安宿のなかでも、最も有名な安宿の一つである。 こんな状況でも客は多い。 日本人が多くて、10人以上はいた。 部屋を出てロビーに行くと、従業員のサミールが掃除の手を休めて、テレビを見てい た。 ...
続きを読む "そして戦争は始まった1" »
戦争が始まって二日後に、私はアンマンを出た。 ペトラという遺跡を見るためだ。 それはナバテア人という、アラビア半島からやって来た民族が、紀元前1世紀頃に造ったといわれる遺跡だ。 そして、伝説と化していたその遺跡が、世界に現れたのは、1812年に英国系スイス人の探検家ヨハン・ルートヴィヒ・ブルックハルトに発見されたためである。 映画「インディージョーンズ・最後...
続きを読む "そして戦争は始まった2" »
エジプトのカイロの東、シナイ半島にダハブという街がある。 比較的物価の安いそのビーチリゾートに特に興味があるわけではなかった。 ただ、なんとんとなく足を運んだ。 ヨルダンのアカバからフェリーで、紅海のアカバ湾を渡り、ヌエバに着く。 そこはもうエジプトだ。 そこから直接カイロに行くこともできたが、フェリーが一緒だった日本人が、ダハブに行くというので、私もなんと...
続きを読む "ダハブの休息" »
ダハブからの乗合ワゴンは、カイロ市内の地下鉄の前で停まり、私はそこで降ろされた。 朝方だったので、通勤や通学の人たちで地下鉄は込み合っている。 そこが一体カイロのどのあたりなのかよくわからなかったが、私は地下鉄に乗り、人に尋ねながら、ナセル駅へまでたどりついた。 目的の通称サファリビルは駅からすぐだと聞いていた。 そこのなかに私の目指すゲストハウスがある。 ...
続きを読む "伝説のゲストハウス" »
誰が言い出したのかはわからないが、バックパッカーの間で語られる「3大バカ民族」というのがある。 あくまで、噂話の域を出ないものであり、あまり上品な言い方ではないし、言われた方はいい迷惑どころか激怒しそうなものだ。 しかし、平たく言えばそれらの民族の国は、旅行の行き先としては人気があっても、旅をする上ではトラブルも多いということだろう。 そしてトラブルに巻き込...
続きを読む "エジプトで騙される" »
アフリカは魅力的だ。 しかし同時につらい。 アフリカに行ったことのある人は誰もが言う。 何がつらいのか。 食事か、移動か、あるいは現地の人との交渉か、マラリアか。 まあ、そのどれもあてはまるだろう。 エジプトのカイロから、ルクソール、アスワンと南下し、私はスーダンに入った。 アフリカの魅力はその後の国々でたっぷりと味わうことになるであろうが、とりあえずはその...
続きを読む "ジャンピングバス1" »
イミグレーションを出て、乗合トラックで街まで行く。 そこから首都のハルツームまで列車が出ている。 私の目的地もそこだ。 列車が出るのは、次の日である。 この列車が相当つらいという話であった。 炎天下の中を列車は走るが、信じられないほど車内は暑くなる。 当然冷房はない。 1等車両でも冷房はなく、しかもベッドもないという話だ。 かといって、窓を開けると、砂漠の中...
続きを読む "ジャンピングバス2" »
いつかはそういう時がくるとは思っていたが、実際になってみると、一体なにが原因で、よりによってこんなところでなんて思ってしまう。 私はこの旅が始まった以来、大きく体調を崩した。 場所はエチオピアのゴンダールという場所だった。 スーダンは別に見たいものもなく、南部では内戦をやっていた。 おまけに日中は40度を越す暑さで、ひたすら水とジュースを飲んでやり過ごした。...
続きを読む "ヨーグルトにあたる" »