ライター:さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

そう言うと心路は、智の方にちらりと目をやった。智は、仁に、初めまして、と小声で
言って会釈をした。智は、仁のことはゴアにいる時から良く知っていたが、話をするよう
な間柄ではなかったので、一応そのように挨拶をしたのだ。すると仁は、ああ、智だろ?、
知ってるよ、ゴアにいたじゃん、と、思いがけず気軽な調子で智にそう言った。智は、予
想に反して仁が自分を知っていてくれたことに何だか嬉しくなって、はい、そうです、ゴ
アにいました、と笑顔で答えた。仁は、微笑みながら何度か頷くと、心路の方に向き直っ
て話し始めた。
「俺も、最近の一希はちょっと変だなって思ってたんだよ。心路、俺のことはいいから、
一希の所に行ってやりなよ。きっと何か胸の中に溜め込んでるものがあるに違いないぜ。
あいつもああいう性格だから、素直に他人に話すことができないんだよ。だから心路が行
ってそれとなく聞いてやりな。話を聞いてやりさえすれば、多分、一希もすっきりするん
じゃないのかな」
「ひょとしたらそうなのかも知れませんね。あいつ、何か人には言いにくいようなことを
抱え込んでるのかも……。分かりました。俺、今から一希の所へ行って、ちょっと話をし
てきます。何となくあのままだとあいつ、どうにかなっちゃいそうで……」
「それがいいと思うぜ、心路。そうしてやりな」
仁は、心路を眺めながら何度か頷いた。智は、その風貌とは全く正反対に優しい言葉を
発する仁に、少し意外な印象を受けた。仁のことを、もっと冷たく、寡黙な人間だと思っ
ていたからだ。心路は、早速立ち上がると、智、行こうぜ、と智を促し、仁に挨拶をして
部屋から出ていった。智も、仁に軽く会釈をすると部屋を後にした。仁は、右手を上げて
それに応えながら二人を見送った。仁のその姿は、相変わらず亡霊のようにぼんやりと闇
に浮かび上がっていた。智は、仁のその冷たい外見と意外にも温かいその内面との正反対
のギャップに戸惑いながら、不思議な気分で心路の後を追った。そして、人間、見た目だ
けでは分からないものなんだな、と心の中で改めてそう思った。
部屋に戻ると、一希は、これまで見たことがないぐらいの酩酊状態に陥っていた。一体
何を摂ったのか知らないが、四肢は方々に乱れ、頭をぐったりと壁にもたれかけながら天
井を仰いでいる。心路と智は、顔を見合わせると静かに一希に近寄った。そして心路が、
一希の肩を揺らそうとしたその時、心路は、反射的に素早く手を引いた。眠っていると思
っていた一希が、おどけて心路の手を噛もうとしたのだ。
「ハハハハハァ、ヤァ、心路、どうしたの、何驚いてるの?」
一希は、定まらない視線を泳がせながら、大声で心路にそう言った。
「何だよ、驚かせるなよ、お前! 眠ってるかと思ったじゃねえかよ!」
一希は、凝り固まった筋肉をほぐすようにグルグルと首を回した。そしてテーブルの上
に散らばっていた煙草を一本手に取ると、ライターでそれに火をつけた。そして深々と煙
を吸い込み、目を閉じて溜め息をつくようにしながらゆっくりと吐き出した。
「起きてたぜ、ちゃんと。ホラ」
一希は、目を剥きながら心路の方へ顔を突き出した。
スティッキー・フィンガーズはある旅行者の実体験をもとにしたフィクションであり、ドラッグを推奨したり礼賛するものではありません。


