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Apr10

メメント・モリ

智は、自分で書いたシバ神のことを思い出して、しまった、と思った。幸恵は、再び立
ち上がると扉に近づいて、それらの落書きの一つ一つに目をやった。
「ええっと、ドゥー・ノット・イート・ホール・パパイヤ・バイ・ユアセルフ、ううん、
パパイヤを一人で丸ごと食べるなってことですかね。えっと、こっちは……。夕暮れに屋
上にのぼって、日の沈むのを眺めながらジョイントを吹かす、人生はそんなに悪くない、
ってこれ、どういうことだろ。ジョイントって、マリファナのこと? ああ、やっぱりみ
んなマリファナ吸ってるんだ。あっ、日本語で書かれているものもありますね、なになに、
ラーメン食べたい、ハハハ、やっぱり日本食が恋しくなるものなのかな。わあ、何だろう
この絵は。シバ神かな。お経みたいなものが書いてあります。きっと日本人が描いたんで
すね。何だか尋常ではないな。これは……」
 智は、一瞬ドキッとしたが知らないふりをして、ああ、その絵は凄いよね、かなりイッ
ちゃってるよね、と適当にごまかしておいた。
「そうですよね。一体誰がこんなの書いたんだろう。えっとこっちは……。メメント・モ
リ……? 人間は犬に食われる程自由だ、メメント・モリ、死を想え……、って、これは
確か……。写真家の藤原新也さんの言葉ですよね」
「えっ?」
 智は、バックパックに物を詰め込んでいる手を止めて、幸恵の方を振り返った。
「幸恵ちゃん、それ、知ってるの?」
「ええ。私、彼の本も読んでますから。多分そうだったと思いますよ。インパクトありま
すし。確かバラナシのガンジス川のほとりで、打ち上げられた人間の水死体をノラ犬が食
べている写真とともに、その一節が記されていたんだと思います。私もそれを見た時はち
ょっとショックでしたから」
 智は、ぼんやりと幸恵の方を見つめている。
「そうだったのか……。バラナシ……、ガンガー……」
「どうしたんですか? 智さん」
 智は我に返った。
「あっ、いや、俺もその落書きは気になっていてね。一体どういうことなんだろう、とず
っと思ってて……。一生懸命、考えてたんだよ」 
「メメント・モリって言うのは確か、死ぬことを考えろ、というような意味らしくって、
何でも、中世のヨーロッパの修道院で日頃の挨拶として使われていたそうですね。死を想
え、死を忘れるな、と会う度にお互い言い合って、日々を暮らしていたそうです。それに
は、人間は必ず死を迎えるものなのだから、それを忘れずに常に心に留めておくように、
という戒めの意味があったようですね」
「そうだったのか……。全然知らなかった」
「犬に喰われる程自由だ、というのは衝撃的なフレーズですもんね。筆者は、それを見た
とき自分が解放されて行くのを感じた、と言っています。犬に喰われている人の死骸が、
別にグロテスクな物でも何でもなく、ただ、その景色の一部として自然の中に同化してい
るのを見て、人間なんて偉そうにしてるけど何でもない、本当は、死んでしまえば犬に喰
われて骨になるだけの簡単な存在なんだ、と言うようなことを思ったらしいですよ。私に
はいまいち、ピンと来ないんですけどね。智さんには分かりますか?」

スティッキー・フィンガーズはある旅行者の実体験をもとにしたフィクションであり、ドラッグを推奨したり礼賛するものではありません。

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